商品として流通し始めた拳銃
ところで、ひと昔前の裏町に存在した拳銃といえば大方がモデルガンの改造品であった。ごくたまに「コルト・ガバメント」とか、それをちょっと小型化した通称「コマンダー」と呼ばれるものを見かけた。しかしトカレフなどという銃は見たことも聞いたこともなかった。ニュース映像で見た限り、ピカピカの銀色で妙にごつい、不恰好なデザインである。グリップも単純な縦溝が切ってあるだけで、ひどくぞんざいな感じがする。
コルトやブローニングは全体的に垢抜けた面取りが施してあり、色もみな黒いつや消しで、木製のグリップには細密なうろこ状の滑り止めが刻んであったと記憶する。さらに細かい部分について言うと、コルト系には手動式の安全装置のほかにグリップの背面にしかけがあり、しっかり握らないと撃鉄が落ちないようになっていた。見たところトカレフにはそういう機能もなさそうである。
要するに性能はどうか知らんが、件(くだん)のトカレフはたいへん野卑な量産型の拳銃、という感じを私は受けた。
こうした点から想像するに、旧ソ連があんなことになったから余ったトカレフが流失したとする説は、誤りであろう。なぜなら、銃身の面取りもしていない角ばった拳銃は、実際には非常に扱いにくく、とうてい軍用銃とは思えないからである。すなわち今日問題になっているトカレフは、旧ソ連軍の制式トカレフとは明らかに同名異物であろうと思う。
軍の制式拳銃の代表といえば、米軍のコルト・ガバメントとドイツ軍のワルサーP38であろう。前者は第一次大戦以来、後者はナチス・ドイツ以来、今日もなお両軍の制式拳銃とされている。つまり、武器としての拳銃はこれらの名銃をもって、とうの昔に完成しているのである。
件の銀ピカトカレフをワルサーやコルトと比較した場合、一見してそれが制式トカレフでないことはわかる。おそらくトカレフの名を借りた「市販用コピーモデル」、いやもしかしたら「対日輸出用トカレフ」として、どこかでひそかに量産されたものではなかろうか。少くとも「ある物を売っている」のではなく、「売れる物を作っている」ことは確かであろう。
警察やマスコミが、こうした拳銃の商品性について考えないのはなぜだろうか。冒頭でも触れたように、マニアックな意味で拳銃を欲しがる男はいくらでもいる。しかも万がいちパクられたときにも、平和国家のお粗末な銃刀法により、罪は愕(おどろ)くほど軽い。つまり重い懲役をかけて覚醒剤を売るよりも、拳銃を売った方がずっとワリに合うのである。
かくて実数十万丁といわれる拳銃が巷(ちまた)に氾濫(はんらん)した。実用性があるから売れたのではない。マニアックな商品性によって売れたのである。制式トカレフではない量産品が、トカレフのブランドで売られ、大ヒットした原因ももちろんこれであろう。
私がいま最も不安に感じる点は、こうして一般市民の間にまでばらまかれた拳銃が、既成の覚醒剤ルートやコカインルートを伝わっていないか、ということだ。銃も薬も同じ営利目的の商品であると考えたとき、この販路は大いにありうる。だとすると、精神病歴のある男が青物横丁駅で待ち伏せた程度ではなく、薬害により完全にプッツンした男が新宿駅のラッシュ時に拳銃を乱射するような事件が、いつ起きてもふしぎではないことになる。
書いているうちに何だか妙な使命感を感じてしまった。
では来週も凶弾にまつわる話の続きをしよう。
発売と同時に売り切れるかも知れないので、お早目に。
(初出/週刊現代1994年11月26日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。