修業時代に聞いた洒落た言葉の数々
私の若い時分は、そんな話を親方から聞いて育ちました。むろん、私の方から質問をして答えてもらったのです。最近の若い衆は、どうもそういったことに興味がないようです。聞いてくれればいくらでも教えるのに、少し淋しい気がします。
私が聞いた親方の話によれば、江戸時代のシャリは、「湯炊き」といってお湯から米を炊いていたそうです。水から炊くより早いというのが理由で、15分ほどで炊き上がります。ただ、私も試してみましたが、やっぱり水から炊いた方が美味いですね。
私の修業時代――昭和40年代前半といえば、メダイ、オゴダイ、アオダイといった安い魚を使ってオボロをつくったものです。魚の白身に砂糖、醤油、みりんと塩を少々、そして食紅を入れてつくりますが、ヒラメを使うときもあります。
オボロは「さがや」とも呼ばれます。常磐津の「将門」で有名な「嵯峨や御室の花盛り……」というくだりから、「御室」と「おぼろ」の音が似ているため、洒落た言い方として生まれた言葉だそうです。
ちなみに、似たような仕事をするものに薄焼きの玉子焼きがあります。芝エビを剝いてすり身にし、裏漉しをしてから、卵、砂糖、みりん、山芋、塩を加え、薄い銅板で焼きます。この玉子はシャリの上に載せるのではなく、玉子焼きに切り目を入れて、シャリを挟みこみます。「鞍かけ」といって、馬の鞍のように見えることからこの名がついたようです。
寿司にまつわる言葉にはこれと似たようなものがたくさんあります。たとえば「弥助」。これは鮨、あるいは寿司屋のことです。由来になったのは、浄瑠璃や歌舞伎の当たり狂言の『義経千本桜』です。舞台は奈良・吉野の寿司屋「釣瓶鮓」。この店に弥助という美男の手代がおりまして、じつはこの男、源平合戦で滅びた平重盛の子、三位中将・平維盛でした。維盛の父に恩のある店の主人・弥左衛門が追っ手を欺くために匿っていた。そこに源氏の追手が迫り……という話です。元々は関西の押し寿司に使われていた隠語ですが、だんだんに江戸前の握り鮨にも使われるようになったようです。
「さがや」も「弥助」も、おそらく花柳界で使われているうちに広まったのでしょう。ただ、こうした洒落た言葉も徐々に聞かれなくなってきました。世の中は移ろいゆくものなのですね。
(本文は、2012年6月15日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)
すし 三ツ木
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