お笑いコンビ「ティモンディ」前田裕太さんの、「目指せ、理想の大人」をメインテーマに掲げた連載コラム。30代に突入した前田さんが「大人」を目指して過ごす日々を、食・趣味・仕事など様々な視点で綴ってくださいます。連載は、第1・3木曜日に更新です。「(理想の)大人ってなんだろう?」を一緒に考えながら、前田さんの成長を見守りましょう!
「趣味は勉強」という前田さん。それなのに、学生時代、なぜあんなにも授業はつまらなかったのか。大学時代の塾講師の経験で、前田さんが「勉強の面白さ」を伝えることの難しさを思い知らされ、気付いたことがあったようです。
趣味:「勉強」
勉強って本当に楽しい。
現在の所属事務所、グレープカンパニーへのオーディション用紙に趣味を書く欄があったのだけれど、そこに勉強、と書いて提出したほどに学ぶことは面白い。
芸人のオーディション用紙なのだから、きっと書くべきことが他にあったのだろうけれど、私のリトル前田が、止められない好奇心達を代弁して、趣味の欄にボケを書くことを許さなかったのだ。
あの時のオーディション用紙で、好きなテレビは?という欄には”薄型”と回答したので、芸人の趣味の解答欄なのに、なんだかいじりにくい勉強と記載したことは大目にみてもらいたい。
そもそも世の中にある驚きや発見のあるものを分かりやすい形で提供してもらえる「勉強」は、もはや贅沢な趣味であって、本であれ映像であれ、今や無知な者でも楽しめる形で知識を得ることが容易にできるようになった。
ただ、勉強は教えを乞うよりも、人に教える方が何倍も難しい。
大学生になって塾の講師のアルバイトを始め、書生に勉強を教えていたのだけれど、それを痛感した。
高校時代、なぜあんなにも授業がつまらなかったのか
高校時代は、先生に歴史を教えてもらっていたけれど、死ぬほどつまらなくて、教科書を開いた状態で立てて、隠しながら文庫の小説をこっそり読んでいた。
あの時の私の歴史に対しての認識は、今を生きている私が、何故、既に死んでいる人間達がどう生きたかを学ばなければならないのか、時間の無駄ではないか、だった。
チョンマゲを結う感性の人間から、学ぶことなんて何もないだろう、と。
教え方が面白い先生に当たっていれば、今くらい楽しく歴史に対して向き合えていたに違いない。
それほどまでに授業が面白くなかった。
正確には、あの時の私には面白いと思える感性がなかっただけなのだけれど、高校生に対して「自分から勉学に対しての面白みを見出せよ」というのも酷な話だ。
大人になれば、自分から楽しもうとする必要もあるけれど、まだ成人もしていない子供達に、自ら進んで楽しむ姿勢を求めるのは違うし、子供達が楽しく勉強をできるように努めるのは、大人側の仕事だと思う。
他人に、その教えるものの面白さを伝わるように紹介して、さらには、やる気になって主体的に勉強をしてもらうまでが勉強を教える者の責務だ。
ただ、塾の講師をしている時、その責務を果たすのは本当に難しかった。
あの時、恨めしく思っていた先生の歴史の授業は、いざ自分が教える側になった時に、いかに難しいことをしてもらっていたのか、痛感することになる。