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新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています。このプロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。

第3弾は、埼玉・川越「頑者」です。

後に続くお店に多大な影響

第3弾は「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という、それまでになかったつけ麺のスタイルを確立し、その後活躍するお店に大きな影響を与えた、埼玉・川越「頑者」さんです!

店舗名:埼玉・川越「頑者」
住所:埼玉県川越市新富町1-1-8
電話:049-226-1194
営業時間:11時半~16時20分
定休日:日曜日
創業:2000年(ガンジャとしては1993年)
創業者:大橋英貴

埼玉・川越「頑者」本店(2010年撮影)
改装後の本店

・過去のラー博出店期間
2010年6月2日~2014年9月23日

岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント

「つけ麺はラーメンなのか?という結論を出し、つけ麺の新しいスタイルを生み出したパイオニアとして頑者さんにお声がけさせていただきました。頑者さんが誕生しなかったら今のつけ麺の歴史も大きく変わっていたと思います。つけ麺はラーメンです」

頑者の歴史 東京ラーメンオブザイヤーに輝く

1985年、創業者・大橋英貴氏の父親である故・大橋英政氏が製麺会社「有限会社ひかり食品」を設立。

1993年、川越市月吉町に「ガンジャ」をオープン。このお店はつけ麺ではなくラーメンを主体とした店でしたが、2000年、川越市新富町に「頑者」をオープン。「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という新しいつけ麺のスタイルを作り上げ、東京ラーメンオブザイヤーの最優秀新人賞(2001年)、つけめん部門最優秀賞(2002年~2005年)など様々な賞を総なめにしました。

その後、頑者のスタイルにインスパイアされた数々の有名店が「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」を取り入れ、このスタイルは特に2010年代に多くのお店で模倣されました。

創業者・大橋英貴氏

つけ麺の歴史 1955年に初めて大勝軒が発売

つけめんの歴史は意外にも古く今から半世紀も前の1955年に大勝軒が発売した「特製もりそば」が最初と言われています。

その後、1973年に創業し大規模チェーン展開を行った「元祖つけ麺大王」が「つけめん」という言葉を生み出しました。しかし、この「つけめん」は一部のファンの間にしか広まらず、一般に定着することはありませんでした。

「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。川越にある「頑者」が「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことと、東池袋大勝軒の店主・山岸一雄氏のお弟子さんが独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といった店の影響が大きなエポックとなりました。

その後、2002年に初のつけめん専門店として「ぢゃぶ屋」のオープン、「頑者」のスタイルから影響を受けた「六厘舎」や、つけだれに焼き石を投入し冷めにくい「つけめん」を提供する「つけめんTETSU」等、個性あふれる「つけめん」が登場し、ついにはファミリーレストランでもメニュー化されるほどになりました。そして、2009年には「つけめん」だけを集めた大イベント「大つけ麺博」まで開催され、予想を遥かに上回る人出となりました。

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頑者のつけ麺の特徴...
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おとなの週末Web編集部
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