お笑いコンビ「ティモンディ」前田裕太さんの、「目指せ、理想の大人」をメインテーマに掲げた連載コラム。30代に突入した前田さんが「大人」を目指して過ごす日々を、食・趣味・仕事など様々な視点で綴ってくださいます。連載は、第1・3木曜日に更新です。「(理想の)大人ってなんだろう?」を一緒に考えながら、前田さんの成長を見守りましょう!
前回に引き続き、数年前、スイスに行った時のお話です。初海外、知らないことだらけでいっぱいいっぱいだった当時の様子を、その頃よりは少し大人になった視点で振り返ります!
スイスで絶食!?
子供と大人の大きな特徴の違いは、視野の広さにあると思う。
経験も浅い子供は1つ1つの出来事が大事件。大人からしてみれば大した事ないことでも、経験の少ない子供は、どうしても戸惑ってしまうだろう。
歳をとったって、やった事のないことを、いきなりプレッシャーのある中でやれと言われれば、誰だって精神的に不安定になりやすい。
そんな多様な出来事を、今までの経験則に従って、落ち着いて対処できるのが大人なのだ。
視野の広さは、経験値とある程度比例していると思う。
前回書いた、スイスへ旅行へ行った2019年の時の私は、初めての経験ばかりで、てんやわんやだった。
20年以上生きていて、その経験が何も生きなかったという点においては、スイスへ旅行へ行った頃の私はまだ子供だったのだろう。
視野も狭く、目の前のことでいっぱいいっぱいになっていた。
まず、物価が高いことに、慌てふためいた。
コーラが500mlで500円。
何でコーラがそんなに高くなるのよ。
金粉でも入ってるんじゃないかと、黒い液体の中身に目を凝らしても普段のコーラと何も変わらない。
飲み物がその値段だと、いよいよ旅行のあれこれをしていたら借金まみれになってしまうよ、と、戦慄したの覚えている。
こんな高い飲み物は飲めない!水だ水!と水道水を飲もうと思ったけれど、スイスの水道水は、日本のように飲みやすくて美味しい軟水ではなく、バリバリの硬水でお腹を痛めてしまいかねないらしい。
詰んだ。
お金はかかるけれど、水を買うしか道はない。
スイスのコンビニに入ってペットボトルを買うことにしたのだけれど、見ると330mlなのに350円近くした。
勘弁して欲しい。
これは旅行中、完全に断水、いや、食べ物も高いだろうか、もはや断食をしなければならないか、と腹を括った瞬間だった。
きちんと下調べもしないで、勢いだけで来たのはどうかしていた。
どうにかなるだろ、という考えで、こんな窮地に追い込まれてしまうとは。
ここまで思い詰めてしまったのは、金銭的に余裕のない時に海外に行ったというのはあるけれど、純粋に海外旅行の経験がな買ったからだろう。
対処法が全く思い浮かばなかった。
経験豊富な大人であれば、幾つも講じる手段があることを知っているのだろうけれど、その時の私はまだ子供だった。
天を仰いでヘルプミーと口にしてみることしか出来なかったのだ。
ただ、スイスはもっぱらドイツ語、フランス語圏である。
スイスでこのまま餓死してしまうのではないか。
まさか、こんな縁もゆかりもない場所で人生を終えることになるなんて。
切羽詰まった状態で、何とか安く水を手に入れる方法がないだろうかとスマホで調べてみると、意外とその手段はあった。
どうやら水はスーパーで大きなペットボトルを購入したら、1リットル当たり100円近くで買えるようだった。
この時、経験値がないのであれば、事前に下調べをするべきだ、という教訓を学ぶに至った。
少し大人になった瞬間だった。
スイス流“夏祭り”にドン引き
私がスイスを訪れた日は、たまたま、スイスで年に一度のサマーフェスティバルがある日だそうで、日本でいうところの夏祭りのようなものか、と思って行ってみることにした。
ただ、これはまたこれで、お祭りの文化が日本とあまりにも異なっていて戸惑った。
スイスで2番目に人口の多い都市、ジュネーヴで行われるそのお祭りは、大通りを閉鎖して、とても広い会場で行われていた。
会場に近づくごとに、重低音のパリピ音楽がどんどんと大きくなっていく。
何だか、思っている感じと違いそうな雰囲気が近づくにつれて伝わってくる。
会場に着くと、荷台が改造されて舞台になっている大型トラックが何台も通っていくのだけれど、その舞台にはDJブースが付いていた。
聞こえてきたイケイケ音楽の正体は、この改造されたDJブース付きの大型トラックで、等間隔で何台も通り過ぎるたびに、激しいノリの曲が入れ替わりで耳に入ってきた。
新宿の歌舞伎町で、うるさい宣伝カーを目にしてストレスを感じていたけれど、その比にならないくらいの大音量だった。
うるさい。
若者たちは片手に瓶ビールを持って、その音楽にノって上機嫌。
フォー!と叫ぶ若者がいた。
レイザーラモンHGさん以外でフォーを叫んでいる人を初めて目にしたけれど、大体の若者は音楽にノリながらHG化していた。
郷に行けば郷に従えと言うけれど、どうしても私はそのような楽しみ方が出来なかった。
日本の盆踊りのような夏祭りをどこかで期待してしまっていたのだろう。
シンプルに引いてしまったのだ。
一緒になってお酒を飲んで騒ぐことができたなら、きっと楽しめたイベントなのかもしれないけれど、そんな人間性ではないのは読者諸兄姉がよく分かってくれていると思う。
右肩に炎、左肩に髑髏のタトゥーが入っていて、鼻に大きいリングのピアスをつけている2メートル近い巨漢が奇声をあげながら私の眼の前で踊り狂っているのを見て戦慄した。
世界は広いというか、私の見てきた世界が狭かったというか。
ただただ、じっと固まってその乱舞を見ることしかできなかった。