天敵となる生き物は犬ばかりじゃない
1860年、第1回全英オープンがプレストウィックで開催された当時のグリーンも、それほど安泰とは言えなかった。試合前、役員総出の態勢でも間に合わず、大勢の住民が駆り出されて動物の跡始末に忙殺された。にもかかわらず、1880年にマッセルバラで行われた全英オープンでは、1匹の犬が7番ホールの旗竿めがけて片足上げると、ついでにバンカーの砂上で中腰のパフォーマンス、役員に追い立てられるまで長逗留と決め込んだ。
そうとは知らない選手たち、芝目を読むために姿勢を低くして匂い嗅ぎのポーズそっくり、ギャラリーは大喜びだった。ルール上、どうなるかって? もちろん「カジュアル・ウォーター」に決まってる。
そればかりではない。この試合が手始め、地元のB・ファーガソンが以後3連勝して、ヤング・トム・モリスが持つ実質的4連勝に迫る緒戦となっただけに、前泊組まで現われる騒ぎだった。ファーガソンは冷静にゲームを進めていたが、同じく地元出身のN・コスグロゥブがぴったり密着して、文字通り一進一退、手に汗握る好ゲームが続いた。
16番ホールまで来たとき、コスグロゥブの第2打目がグリーン横の茂みに吸い込まれた。現場に到着した巨漢は、草の根かき分けて捜索に大わらわだったが、不意に、
「痛ッ!」
と飛び上がった。うっかり野ネズミの巣穴に指をつっ込んでしまったのだ。傷は大したことなかったが、彼はペストが心配でたまらず、たちまちショットが乱れてダブルボギーの山、優勝したファーガソンに6打も差をつけられてしまった。
グリーンは年々改良されて、いまでは舐めるほどきれいに変身したが、こんどはミクロの計算が要求される事態、かつて神頼みで打っていた時代と比べて10倍も時間を要するようになった。
ゴルフで妻子を養うプロならともかく、真っすぐ1メートルも打てないご仁がプロの真似して行ったり来たり、見苦しいったらありゃしない。挙句、「失礼」と言いながら人のラインを平気でまたぐ狼藉ぶり。またいだ着地点が他の人の曲がりラインという場合もある。
「ライン上をまたがれると、泥靴で顔を踏まれた気がする」
温厚なボビー・ジョーンズにして、静かな怒りをぶつけていた。いかに遠回りしようとも、人のボールのうしろを歩くのがグリーン上の基本であり、「失礼」は許されない蛮行だ。
さて、コースに棲息する生き物とゴルファーの関わり合いの中で、最も地味な存在がクモだろう。飛んだり跳ねたり這い回ったりする連中と比べたとき、彼らが視野に入ることは至ってマレと言える。ところがどうして、ときに主役として登場するから侮ってはいけない。
1972年の「ウェスタン・レディース・クラシック」最終日、17番ホール、とかくスロープレーが取り沙汰されるデボラ・マクギニーのパットは約2メートル、もし入れば首位タイの場面だ。
彼女は行ったり来たり、なかなか打つ気配がない。そのときTVカメラがボールを大写しにした。なんと1 匹のクモが巣を張っていたのである。
「キャーッ」
彼女は3位に転落した。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1934年横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘されていた。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。