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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。英ロックギタリストのジェフ・ベック第2回は、1975年の大ヒットアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を軸に興味深い証言がつづられます。2大ロックグループに誘われたこと、そして「ギターだけで充分なんだ」と高く評した大物プロデュサーとは―――。

桁外れにヒットした『ブロウ・バイ・ブロウ』

日本では“ギター殺人者の凱旋”という恐ろし気なタイトルが付けられた『ブロウ・バイ・ブロウ(Blow By Blow)』によって、1975年、ジェフ・ベックはスーパースターとなった。それまでもギター・フリークにはその名は知られていたが、『ブロウ・バイ・ブロウ』は桁外れのヒットだった。全米アルバム・チャートで4位まで上昇したこのアルバムは、初めてのミリオン・セールスを記録した。

『ブロウ・バイ・ブロウ』までジェフ・ベックは5枚のスタジオ録音アルバムを発表し、ロック・ファンからは、それなりの認知は得ていた。ただ、誰でも知っているスーパースターになるためには、日本風に言うならお茶の間のファンを取り込まなければならない。ポップスとしての聴き易さが必要なのだ。その点を“ギター・ロックのイージーリスニング”とまで評された『ブロウ・バイ・ブロウ』はクリアしていた。

「ヴォーカルは必要ない」ジョージ・マーティンは、そう言った

『ブロウ・バイ・ブロウ』をプロデュースしたのはザ・ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンだ。このアルバムの最大の特徴は、それまでの5枚のスタジオ・オリジナル・アルバムと異なり、ヴォーカリストのいないインストゥルメンタル・アルバムということだ。かつてジョージ・マーティンをインタビューした時にこのアルバムについて“彼の最大の美点は良いギタリストということなんだ。だからヴォーカルは必要ない。ギターだけで充分なんだ”と語っていた。

一般的にインストゥルメンタル曲をメガヒットに結びつけるのは難しい。長い歴史を持つ全米チャートでも1970年代以降、フランク・ミルズの代表曲「愛のオルゴール」が1979年、ビルボード誌で3位になったくらいだ。ロック、R&Bの時代にヴォーカル無しの楽曲は埋もれやすいのだ。一般の音楽ファンのほとんどはヴォーカルのある曲を好む傾向にあるからだ。

そんな“ヴォーカルの時代”に『ブロウ・バイ・ブロウ』が大ヒットしたのは、ジェフ・ベックならではのギター表現力故だと思う。単に聴き易いだけでなく、『ブロウ・バイ・ブロウ』では、ジェフ・ベックの持てるすべてのギター・テクニックが投入されている。奥が深い、けれどもお茶の間のファンも取り込める。『ブロウ・バイ・ブロウ』はそんなアルバムなのだ。

ジョージ・マーティンがプロデュースした名盤の数々。上段はビートルズ(『レット・イット・ビー』の最終的なプロデュースはフィル・スペクター)。下の2枚は、ジェフ・ベックの『ワイアード』(1976年)と、『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975年)
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