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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。米ポップスの巨匠バート・バカラックの第2回は、大女優で歌手のマレーネ・ディートリヒとの縁をきっかけに名を上げていくエピソードや後進のミュージシャンに与えた影響などがつづられます。

“ザ・ 芸能界”との関係に足掛かり

今では類稀なる才能として誰もが認めるバート・バカラック(1928~2023年)だが、そのキャリアの最初期は不運だった。学歴を紐解いてみるとカナダのマギル大学シューリック音楽スクール、米ニューヨークのマネス音楽大学、米サンタバーバラのウェスト音楽アカデミーで学んだ。クラシックの素養ができていたのだ。

何とか名を挙げようと曲を書き溜めたものの、どこの音楽出版社も認めてくれない。そんな不遇の時期を救ったのは大女優のマレーネ・ディートリヒ(1901~92年)だった。彼女との公私に渡る関係がバカラックをスポットライトの当たる場所へと導いた。日本風に言うなら”ザ・芸能界”との関係に足掛かりを掴んだということになるかも知れない。

一度、その名を世が認めれば、バート・バカラックの音楽素養が役立った。あれだけアカデミックな教育を受けていたら、構成がシンプルなポップ・ソングを書くのはわけもなかったとぼくは思う。彼がマレーネ・ディートリヒと出逢うまで、世に認められなかったのは、ポップ・ソングとしてはあまりに複雑な曲を書いていたのではないかと推測する。

バカラック音楽の魅力はキャッチーで大衆性のあるメロディーと思いきや、実際に演奏してみると音楽的に大胆かつ斬新な試みをしていることが分かる。例えば変拍子や転調の多用は他のポップ・ソングでは、あまり類を見ない。とても癖のある音楽性、それがバカラック音楽の魅力なのだ。

『明日に向って撃て!』の主題歌「雨にぬれても」が、アカデミー賞主題歌賞に

ぼくのようなコアな音楽マニアを除けば、1960年代、作曲家としてのバート・バカラックに注目した人は少ないと思う。日本より多少は知名度は高かったと思えるアメリカでも、 裏方的存在だったことが今は分かる。彼の名を表舞台に押し上げたのは、1969年の映画『明日に向って撃て!』の音楽を担当し、主題歌であるB・J・トーマスの「雨にぬれても(Raindrops keep Fallin’ On My Head)」が、全米No.1となり、アカデミー賞主題歌賞を授賞した辺りからだった。あの映画から日本でもバート・バカラックの名を知る人は増えた。

1970年代1980年代に入るとバート・バカラックの人気はやや低下した。クリストファー・ クロスの1981年の名曲「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」=原題「Arthur’s Theme (Best That You Can Do)」=などといったヒットはあったものの、その数は1960年代に比べてぐっと 減った。

バート・バカラックの名が再び浮上したのは、イギリスの若い世代、エルヴィス・コステロ、ストラングラーズ、スミス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ワークシャイなどが次から次へとバカラック作品をカヴァーし始めた頃からだ。飛び火というわけでは無かったが、日本でもピチカート・ファイヴなど1990年代渋谷系と呼ばれるミュージシャンたちが、バカラック作品に注目した。独自の美しくセンチメンタルなメロディー、けれども転調などの多用で意外性のあるメロディーが、バート・バカラックよりずっと歳下の若い世代に刺さったのだ。この現象でバカラックの名は日本では不動のものとなった。

バート・バカラックの名曲の数々
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