いまどき、東京で10年続く店だって頭が下がるのに、それどころか歴史を重ね続けること100年以上。長く受け継がれ、愛され続ける老舗には、味そのもの以上に、“語り伝えたい”味があります。寿司、洋食、バー、和菓子に惣菜、定食から駄菓子まで、今に継がれる味、そして新たな時代と共に生きていく味を、たっぷりご披露いたします。連載「100年超えの老舗の味」の今回は東京・九段下『九段下 寿司政』をご紹介!
創業は幕末の1861年、屋台がルーツ
東京、九段下、桜の名所。今年もまた、こぼれんばかりに咲き誇る満開の美景を魅せてくれた。花見を楽しんだ人も多かっただろう。当たり前に訪れる、いつもの春、いつもの風景……いや、果たして。何せ私たちは日常が思いがけなく、いとも簡単に変わりゆくことをコロナ禍の数年で思い知らされたではないか。
ならば。時代の大きなうねりの中で、時を超えてそこにあり続け、味を守るということは奇跡に近いのかもしれない。かつての震災も、戦争も、幾度となく困難を乗り越えてきた、その店。葉桜が眩しい九段下の路地、今日もまた『寿司政』の暖簾が揺れる。
創業は幕末の1861年。初代が日本橋、上野、神田あたりで屋台を引いて商売を始めたのがルーツだという。明治になると、道楽が好きだった2代目が芝居小屋に出店し、出入りする旦那衆や役者らに寿司を握っていたそうだ。大正12年の関東大震災で小屋が焼失した後、ここ九段下に店を構え、『寿司政』の味を確立させたのが3代目の戸張政次郎氏。
現在の5代目、戸張正大さんの祖父にあたる。「祖父は職人気質で、掃除から挨拶など礼儀に至るまで大変厳しい人だったと聞いています。私が3歳の時に他界しましたが、4代目である父をはじめ職人たちはまともに口もきけなかったそうです」。そんな政次郎氏の仕事を傍らで見続け、彼の生前はもちろん、亡き後も職人らに技を伝承したのが、看板女将で妻の百合子さんだ。
それは仕入れの目利きから仕込みまで細部にわたる。平成22年に101歳で亡くなる前は、90歳頃まで店に出ていたという。「長い年月で職人が代わっても店の味が変わらないのは、祖母が味を管理し、職人とコミュケーションを取りながら伝統の技を伝えてきたから。だからこそ、今まで続けてこられたのだと思います」男社会だった職人の世界。影で支え続けた彼女の存在は大きい。現在は十代の頃から祖母に学んだ戸張さんが、その役目を担う。
常連だった映画監督・山本嘉次郎が詠んだ俳句、山口瞳も好んだネタ
小肌、穴子、玉子、かんぴょう巻き。おぼろ、ガリ、シャリ、秘伝の煮切りにツメ。代々受け継ぐ仕事は数多いが、これらはとりわけ『寿司政』を語る上で欠かせないものだ。何といっても小肌や新子は作家の山口瞳らも好んだこの店の代表的なネタ。店内には常連でグルメだった映画監督、山本嘉次郎が詠んだ「秋風や 江戸一番の 新こはだ」の色紙も飾られている。
にぎり 竹 4950円(昼)
すべてが昔ながら。しっかりと酢〆を施した身はキリリと締まり、赤酢が利いた伝統のシャリとこの上ない相性でたまらない。塩梅は当然ながら職人技が必要で、身の厚さや脂の乗り、その日の温度や湿度を考慮して塩の加減や漬け時間を計算、漬けた後のツヤなどを見て何日寝かせるかを判断するのだという。
煮穴子や煮蛤などの”煮もの”も江戸前の仕事が光る。鍋でふっくら煮上げた穴子は、とろりとほぐれる柔らかさを口中で感じられるよう炙らないのも特徴で、煮汁を煮詰めた独自のツメはコクがありながらさらりと飽きのこない味わい。歯切れのいいかんぴょうも、きちっと味付けした甘美な旨さにため息だ。
小肌 880円、煮はまぐり 1320円~1650円、穴子 1320円