1159段の石段を登ると、そこに家康の世界が
20分以上かかり1159段の石段を登りきると、「一の門」がある。「一の門」を通り、「楼門」をくぐると「唐門」にたどり着く。
そしてその奥に、社殿(拝殿、その奥に本殿)が見えて来る。
楼門、唐門も見事だが、社殿は権現造り、極彩色で総漆塗り、それに細やかな彫刻が施されており、思わず息をのむ美しさである。天井も漆塗りで、細かなところまで手が込んでいる。
「安土桃山時代の技法も取り入れた江戸初期の代表的な建造物で、最古の東照宮建築」(久能山東照宮の資料より)というから、優美さと共に風格を感じる。
作法にのっとり、二礼、二拍手、一礼で参拝をする。
朝廷から「東照大権現」という神号を拝した家康。その家康を祀る東照宮は全国各地に存在する。東照宮は既に廃絶されたものを含めると全国で約550社にのぼると、ある研究家は本に記述している。その数多ある東照宮の中でも、もっとも歴史があるのが、久能山東照宮なのである。久能山東照宮(当初は「東照社」)は、家康の死の翌年(1617年)に完成している。
社殿横の40段ほどの石段を登っていくと、そこに神廟が見える。横の幅は8mくらいか。その敷地の中、高さ5.5メートルの石塔の下に家康が眠る。
久能山の頂き近くに建つ神廟は、周囲を木々に囲まれている。静謐な空気が流れて、とても神聖な空間に感じる。石塔は苔むして趣がある。一方で、稀代の名将のお墓としては簡素なイメージを受ける。
立札の説明には、こう記述してある。
「神廟 徳川家康公のご遺体が納められた廟です。当初この地には小さな祠が建てられていましたが、三代将軍徳川家光公によって石造りの塔に改められました(後略)」
家康を偲びながら手を合わせる。
「ご遺体は四角い棺の中に立ったまま、というか椅子のようなものに座った形で安置されていると伝えられています」
と、久能山東照宮関係者が語る。
*一方で遺体は、元和3年に(1738年)日光東照宮に移されたのではと唱える専門家もいる。この神廟にミステリーな部分が残っていると考えることも、歴史と旅の一つの楽しみだろう。