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「もうひと味」とシンセサイザーを導入、“もう一人のYMO”松武秀樹の存在

プロデュース、作詞、曲によってはドラムスも叩いた松本隆は“大都会の悲しきヒロイン”とでも呼べそうなフィルム・ノワール的なコンセプト・アルバムのアレンジを当時の矢野顕子の夫だった鬼才矢野誠に託した。

ギター、ベース、ドラムス、ピアノ、ストリングス以外に何か“もうひと味”欲しいと考えた矢野誠は、シンセサイザーの導入を思い立ち、親交のあった音楽家の冨田勲に相談した。日本で初めて本格的なシンセサイザー(ムーグ社製)を購入していた冨田勲は、自分の一番弟子だった松武秀樹にこの依頼を任せた。

“冨田先生のオフィスに寝泊まりしていたころに、矢野誠さんから電話がかかってきて、『摩天楼のヒロイン』でシンサイザー音を作りました(マニュピレイトした)。これがぼくにとって初めてギャラを貰えた仕事でした。このアルバムの関係で多くの人と出逢えましたね”

かつて松武秀樹はぼくに語った。後に結成されるYMOは、松武秀樹のシンセサイザー音(マニュピレイト)なしでは成立しなかった。

「摩天楼のヒロイン」は一部の熱狂的なファンを得たものの大ヒットとは程遠かった。だが、音楽関係者の中では特に評判が高かった。そんなひとりに矢沢永吉などをプロデュースし、後にキティ・エンタープライズの社長などを務めた当時のEPICソニーのディレクター、高久光雄がいた。

“この人(南佳孝)は何があっても自分がプロデュースしたい、そう思わせてくれた。ヒットする、しないより、この声を世にもっと送り届けたい。そう強く思いました。後に南佳孝とコンビを組む高久光雄はそう語っていた。

南佳孝の名盤の数々。右下が「モンロー・ウォーク」を収録したアルバム『SPEAK LOW』

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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