長浜の屋台で修業し、昭和50年に創業
創業者の福吉光男さんは昭和30年代、当時長浜にあった「しばらく(屋台の支店)」で修業を積み、そこで出会った千恵子さんと結婚。その後、独立して、昭和50年8月1日、福岡市早良区百道(さわらくももち)に店を構えました。屋号「ふくちゃんラーメン」は福吉さんのあだ名に由来しています。
店は繁盛し、多くの常連客で賑わうも、昭和54年、福吉さんは病気になり、店を閉めざるを得なくなりました。福吉さんは何としてもお店を残したいと思い、そこで白羽の矢が立ったのが、妻・千恵子さんの妹さん(榊美恵子さん)のご主人である榊順伸さんでした。
順伸さんはラーメン作りの経験はなく、突然の話に戸惑いました。そのため順伸さんと美恵子さんが独学でラーメンを作ることとなりました。
会社勤めの順伸さんは、会社をすぐ辞める訳にはいかず、会社が終わると自宅の湯船を釜に、タオルを麺に見立てて特訓をしたそうです。麺あげをする右腕に湿布が貼っていない日はなかったほどの特訓だったようです。
「繁盛しているお店なので自分に代わったから味が落ちたとは言われたくなかった」という順伸さんの言葉通り、その想いが形となり、数年後には徐々に順伸さんのお客さんがついてきました。
博多ラーメンの新興勢力
その後、ふくちゃんラーメンの評判は「博多ラーメンの新興勢力」として口コミで広がり、次第に行列が絶えなくなり、長いときには1時間半もの待ち時間となりました。
2004年のラー博出店時に取材した、常連さんのインタビュー記事が残っています。この方は1975年のオープン当初からふくちゃんに通い続けている常連さんでした。
「私にとって、ふくちゃんの味は衝撃的でした。他の店に比べとんこつ特有の臭みがなく、何よりもコクがありました。2~3日経つと、ふくちゃんのラーメンが無性に食べたくなり、正に禁断症状でした」とのこと。
その当時の博多ラーメンはどちらかというと骨太な味が主流で、ラーメン好きの博多っ子にとって、キレとコクを兼ね備え、とんこつ特有の臭みのないマイルドなふくちゃんの味に、次第に魅了されていきました。
現在ふくちゃんの看板に書かれている「ふくちゃんが素通りさせぬ店の味」は、常連さんがふくちゃんに捧げた言葉なのです。
そしてこのふくちゃんの味はお客さんだけでなく、後に出現するニューウェーブと呼ばれる店々にも大きな影響を与えることとなるのです。言わばふくちゃんは、現在のニューウェーブ博多ラーメンの礎となったお店なのです。
また、来々軒という屋号が全国様々な場所で見受けるように「ふくちゃんラーメン」と名乗る店も東京や福岡にもありますが、博多の「ふくちゃんラーメン」は正真正銘ここ一軒です。