長さ40mの巨大な土橋を発見
慶長20(1615)年に出された一国一城令により、二条城と伏見城の併存が難しくなり、伏見城は元和9(1623)年に廃城とされました。天守は二条城に(後に落雷で焼失)、唐門は西本願寺に移されるなど、各地に移築されました。
明治後は、明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)になり、立ち入りが規制されていましたが、平成27(2015)年に大阪歴史学会や京都府の調査が一部許され、1辺十数m、高さ5mの天守台や、長さ40mにもなる巨大な土橋が見つかったといいますから、調査が進むことを期待したいと思います。
【伏見城】
昭和39年、伏見桃山城キャッスルランドが開園した際に作られたもので、鉄筋コンクリート製の五重六階の模擬大天守と三重四階の小天守がある。内部は非公開。
住所:京都市伏見区桃山町大蔵45
電話:075-602-0605
【西本願寺唐門(からもん)】
伏見城から移築されたとも伝えられる極彩色の四脚門(しきゃくもん)。彫刻の美しさに見ていると時間がたつのも忘れることから、別名「日暮らし門」と呼ばれ、国宝に指定されている。
【豊臣秀吉】
とよとみ・ひでよし。1537~1598年。現在の名古屋市中村の貧しい農家に生まれ、関白、天下人に上り詰める。「ひとたらし」と呼ばれるように人情の機微を見抜く力は戦国武将随一。中国大返し、高松城水攻め、石垣山一夜城など戦術もダイナミックで、機知に富む。信長の政策を引き継ぎ、刀狩りや太閤検地で安定化を図る。晩年に「唐入り」を宣言、文禄・慶長の役を引き起こしたことが汚点として残る。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」