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「貴殿には関八州を差し上げましょう」…「男同士の約束を守る」意味

さて小田原城に関し、私の好きなエピソードを紹介します。時は天正18年(1590年)、小田原の陣も終わりに近づいた4月9日でした。笠懸山(石垣山)城から小田原城を見下ろしながら、秀吉が家康に話しかけます。「小田原城が落ちるのも時間の問題。めでたいことだ。貴殿の働き、誠に重畳。250万石に加えて貴殿には関八州を差し上げましょう。そのかわり、三河、駿河ほか五国をお返し願いたい」。家康は「ハハーッ」と従うしかありません。そこで秀吉は、「話しがまとまった証に連れションと行こうではないか」と誘ったといわれています。この時の二人の約束は守られました。「関東の連れション」とは単にオッさんが二人して放尿したというだけでなく、「男同士の約束を守る」という意味もあるようです。

思えば江戸は、この連れションで誕生したのです。石垣山に行かれたらぜひ、秀吉と家康の面影を想像してみてください。

小田原城 Q2PHOTOAS@Adobe Stock

【小田原城】
室町時代大森氏が現在の地に山城を築く。その後小田原北条氏の居城として発展、豊臣秀吉の攻勢に備えしだいに巨大な城郭を備えるようになり、当時の大坂城を凌ぐ総延長9kmにわたる土塁と空堀があったという。5代100年続いた小田原北条氏の没落後、徳川譜代大名・大久保氏が治めた。現在の天守閣は昭和35(1960)年に復元されたもので三重四階となる。

天守閣入場料:一般510円、小中学生200円(常盤木門SAMURAI館との共通券もあり)
開館時間:9~17時
休館日:12月第2水曜日、12月31日~1月1日
住所・神奈川県小田原市城内6-1
電話:0465-23-1373

【石垣山一夜城】
小田原城の西3kmにある笠懸山(現在の石垣山)山頂にあった城。1590年に秀吉が小田原征伐の際15万(22万とも)の大軍を率い、北条軍に見えないように総石垣の城を築き、本陣を置いた。樹木を伐採して一夜にしてできたかのような錯覚を与え、戦意を喪失させたというが、実際は5万6000人もの人足で約80日間かかった。

【北条早雲】
ほうじょう・そううん。1432~1519年。戦国大名の先駆けとして知られ,後北条家5代の祖である。存命中北条早雲と名乗ったことはなく「伊勢新九郎」を名乗った。いわゆる伊豆討ち入りを果たしたのはすでに56歳、相模を平定したのは85歳。大器晩成型武将の典型である。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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