申し分ないサービスは、加虐的なグリーンに対するお詫び
「恒例のチャンピオン・ディナーに招待されて、30秒スピーチの順番が回ってきた。そこで僕は言った。『プロになる以前、私は本職のコックでした。もし来年も招待していただけるなら、そのときは私が何かおいしい物を作って、一緒に毒も盛りましょう。そうすりゃ優勝間違いなしです』。案の定、翌年は招待状が届かなかった」(デイビッド・ファハティ)
「初出場の興奮は、きのうのことのように覚えている。何しろ1メートルぐらいのパットを12回もはずしまくったものさ。ようやく正気に戻ったのが18番、そうだ! 自分はマスターズに出場してたんだと思ったが、すでに手遅れ、トーナメントから押し出されていた」(ジョニー・ミラー)
「15番ホールで、あの緑色のチャンピオン・ジャケットのことを考え始めてしまった。とたんに全身が硬直して、打ち方がわからなくなった。奴らはそれを、チャールズ・クーディにくれちまったよ」(1971年、2位で終わったときのジョニー・ミラー)
「オーガスタに棲む精霊は、みんなのヘンな部分を引き出してクスクス笑うのが趣味なのさ。とくに最終日の残り9ホールが精霊の出番、誰もがヘンになる。実際、最後の9ホールのプレッシャーたるや、鉛のスパイクを履いた他人が打ってるような気分だね」(トム・ワトソン)
「なぜ間違いだってわかる? もしかするとグリーンまでの近道があるかも知れないじゃないか」(9番ティから打ったボールが1番のフェアウェイ方向に飛ぶのを見ながら、ジャック・ニクラウス)
「ここは小川まで全米一美しいと書いた記者がいる。アホ抜かせ、川はどこであろうと川にすぎない。畜生!」(川に3発打ち込んだケン・ベンチュリー)
「コーヒーの香りが漂い、世界一うまい桃とステーキサンドとサラダがあるレストラン、万事に行き届いたロッカールーム、あなた様は特別な方ですと言わんばかりの応対。すべてにわたってオーガスタは申し分ないサービスに溢れているが、それもこれも、加虐的なグリーンに対するお詫びのシルシだと思うね」(デイブ・マー)
「至る所に、何人たりとも入場禁止の看板があって、しかもゲート通過に500個ものバッジが要求されたときから、僕はここが嫌いになった。あるいはそのとき、僕が黒かったのも理由かな?」(黒人ジャーナリスト、アリステア・クック)
「もし出場した場合、森の中からライフルで狙うという脅迫状が何通か来たのは事実だ。しかし、俺たちは脅迫になれっこ、撃ちたきゃ撃てって気分で出場したよ」(1975年に黒人として初参加が許されたリー・エルダー)
「考えてみると、男女問わず、いままでで最も長く続いた関係だと思うよ」(1994年のマスターズで、4日間ともイアン・ウーズナムと回ったジョン・デーリー。しかも2人は過去10ヵ月のあいだに12ラウンドも一緒だった)
「俺たち『問題児チーム』のもっぱらの話題といえば、ビール、ウィスキー、ウォッカにジンの旨い飲み方ばかり。ゴルフの話など一度もしたことがない」(イアン・ウーズナム)
「うちの主人? 最近はジョン・デーリーと暮らしてるわ。ある日突然、二人がゆびをからめて帰宅しても、私は別に驚かないと思うわ」(イアン・ウーズナムの妻、グレンドリス)
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。