今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その41 ゴルフへの恋文
ゴルフを愛し過ぎてアメリカ最初のゴルフ評論家に
背が高くて骨太、トレードマークの中折れ帽をあみだにかぶって、眩しいほど快活に笑う。それでいて礼儀正しく、言葉遣いも丁寧、教養の深さが窺える男だった。タイ・カップ、べーブ・ルース、ルー・ゲーリッグといった野球界の大物と親交が厚いばかりか、ボビー・ジョーンズとは無二の親友、べーブ・ザハリアスにとって父親的存在、フランシス・ウィメットの人生の師でもあった。
初期の時代、アメリカのゴルフ史に特筆すべき出来事があると、まるで月と金星のようにつかず離れず、決まって中折れ帽の姿が見受けられる。たとえば全米オープン、全米アマの門戸開放キャンペーン、各州アマ選手権の充実運動に始まって、1930年の春には、好調ボビー・ジョーンズの2試合に立ち会っただけで「グランド・スラム達成」の予想記事を発表、見事に適中させる。
かと思うと、1932年のロサンゼルス・オリンピック陸上競技の金メダリスト、べーブ・ザハリアスのゴルフ界転出に際して「アマ疑惑」が取り沙汰されると、猛烈な勢いで全米ゴルフ協会に嚙みつき、チック・エヴァンスがアマの身で1年のうちに全米オープンと全米アマに優勝、彼の名を冠した奨学金制度が発足すると聞くや、黙々と裏方の手伝いに励む。そのころには全米一のゴルフ評論家といわれていたが、まるで気取りなく、パンフレットのコピー書きまで買って出る献身ぶり。
「ゴルフの役に立ちたい」
あるとき、彼はボビー・ジョーンズに本心を吐露する。
「このゲームの偉大さを広めるためなら、地の果てまで出向いて講演することもやぶさかではない」
なんとも印象的な名前の持ち主、グラントランド・ライスが生まれた1888年は、奇しくもアメリカに最初のコースが誕生した年、まさに彼はゴルフと産声の合唱をした人物である。
「物心ついたときから、私は何がなんでもジャーナリストになりたかった。そこでブリタニカ百科事典から母親の愛読する料理書まで、ひまさえあれば乱読の日々。20歳のときニューヨークの新聞社に編集助手として採用されたときは、天にも昇る心地だった」
のちに出版したエッセイ集『The Golfer’s Bedside Book』の中で、ライスは素直に喜びを書いている。
やがて燎原の火の如く広まったゴルフブームと遭遇して、一挙に嵌まる。
「ロミオとジュリエットも、私がゴルフに恋した以上の愛ではない。何しろ年を追うに従って、私の恋は深まるばかり、もの狂おしい日々がいまも続いている」
正社員に昇格して野球担当記者になった彼は、球史に残る名選手たちと親交を深めながら、次第に名エッセイストの評価を高めていくが、どうしても気持ちがゴルフに傾いてならない。そこで創刊して間もない雑誌「アメリカン・ゴルファー」に身を転じて15年在籍すると、のちに独立してアメリカ最初のゴルフ評論家となった。