好きだと叫んで溺れるだけ、それが真のゴルファーへの道
折しも、彼が多くのマスコミにコラムを書き始めた1920年代は、イギリスでも名エッセイストが台頭して群雄割拠の時代を迎えていた。しかも興味深いことに、心の底からゴルフに惚れた人物は国籍問わず、書くことがよく似ているのだ。
「私には、1番ティに足を運ぶときの不安と恍惚、胸がはち切れそうな期待と意気込み、何かいい事が起きそうな予感と忍び寄る暗雲。それらが一体となって鳥肌が立つほどの緊張にふるえる時間、あれに勝る幸せがこの世にあるとは思えない。何年も何十年も、ときめきは一向に色褪せず、1番ティに向かう幸せに酔い痴れている」(バーナード・ダーウィン)
「良くも悪くも、ゴルフには知的興奮が濃密に充満する。たとえ三流コースでプレーしても、この興奮に落差はない。これがもし恋愛だとしたら、こうはいかない」(ヘンリー・ロングハースト)
「惚れるのに、何をためらうのか。好きだと叫んで溺れるだけの話、それが真のゴルファーへの道である」(パット・ワード・トーマス)
「ときに恋愛も悪くはない。しかし、女はただの女にすぎないが、ナイスショットにはどこまで飛ぶかわからない興奮がある」(P・G・ウッドハウス)
「ゴルファーほど幸せな人種もいないだろう。見たまえ、80歳の老人でさえデートに向かう青年と足取りが同じではないか!」(ハーバート・ウォーレン・ウィンド)
誰もが、ゴルフに対して熱烈な恋文を書き続けた。その純粋な想いが彼らを一流のエッセイストにしたとも言えるだろう。知性の片鱗も感じられないプロに媚びて、ゴマすり記事しか書かない人物の肩書が「ゴルフ評論家」では、先達に申し訳なくて顔も上げられない話である。