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初代コペンはベストカーさえ市販しないと思っていた

で、表題のコペンだ。

コペンは1999年の東京モーターショー(千葉県・幕張メッセ)に出展。その時の車名はKOPEN(市販時はCOPEN)。軽自動車のオープンスポーツということで当時はさぞかし盛り上がったろう、と思うでしょ。そこで、自動車雑誌『ベストカー』のバックナンバーを漁ってビックリ。1%でも市販の可能性があれば、市販を煽りまくることで有名な『ベストカー』でさえ、KOPENに対し「市販してほしいけど市販されない」と断言していた。現金なもので、市販の期待できないコンセプトカーとして、誌面の扱いもとても小さかったのだ。

こちらのモデルは初代の初期に設定された脱着式のディタッチャブルトップ仕様

これは当時ベストカー編集部にどっぷりつかっていた私自身も予想外。裏を返せば、何をやってくるか皆目読めないスズキなら期待できるが、スポーツカー受難の時代にダイハツが軽オープンスポーツを出すわけがない、という認識だったことの証だろう。

しかし、ネガティブなムードをあざ笑うようにダイハツは”市販前提車”として次の2001年の東京モーターショーにコペンを出展!!

そして2002年6月に正式デビュー。車名の頭文字をとってABCトリオと呼ばれたマツダAZ-1(1992~1995年)、ホンダビート(BEAT・1991~1996年)、スズキカプチーノ(Cappuccino・1991~1998年)亡き後の唯一の軽オープンスポーツだったこともポイント。

初代コペンはリアビューも丸っこくて愛くるしいデザイン

ただ、ABCトリオがすべて後輪駆動だったのに対し、FF(前輪駆動)のコペンを軽視する見方もあった。しかしクーペとオープンを変幻自在に切り替えられる『アクティブトップ』を装備するという独自の”コペンワールド”により外野を黙らせた。

当時電動メタルトップはメルセデスベンツSL、レクサスSCなど1000万円超の超高額車の贅沢アイテムというのが常識だったなか、コペンは149万8000円(デビュー時)で実現させたのが凄いところ。その後トレンドとなり採用車が増えたが、後にも先にもコペンより安い電動メタルトップ車は出現していない。

そんな初代コペンは2012年に生産終了となるまでの10年間で約6万台を販売。中古となった今でも愛され続けている。

コペンのアクティブトップは約20秒で開閉可能。オープンとメタルトップのクーペが変幻自在。これこそ独自のコペンワールド

現行コペンを一日でも長く売り続けてほしい!!

2代目は3タイプをラインナップ。ローブ、エクスプレイ、セロの順に登場した

2代目は初代が生産終了となった後、2年のブランクを経て2014年にデビュー。初代のアクティブトップはそのままに、高剛性ボディとローブ、エクスプレイ、セロという3タイプのデザインの着せ替えが可能というのが新たなアピールポイントだった。

アーモンドグリコの一粒で二度おいしいを超える一粒で三度おいしいのがコペンの魅力なのだが、外板パーツの置き場所問題、デザイン上の制約などにより、当初の高い志とは裏腹に企画倒れ感は否めずトーンダウン。でもチャレンジ精神は評価されるべき。

樹脂製の外板を自由に着せ替えできるのは画期的

2代目コペンは初代ほどの存在感がない、と言う意見もあるが、それは当たり前で、インパクトでは初代にはかなうわけもない。その半面クルマとして進化し、洗練されたことによって根強い人気をキープしている。10年弱で約4万2000台を販売している

2月13日に都内においてダイハツはトヨタと共同で社長交代会見で、ダイハツは将来的に軽自動車に専念し、小型車から手を引く公算が高くなった。今後はより効率を重視して、車種リストラも敢行されるはずだ。そうなると、数の出ないうえに利幅も狭いコペンに白羽の矢が立つのは必至。今は一日でも長くコペンが存続することを祈るのみ。

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次期コペンはトヨタ次第!?...
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

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