サバンナRX-7にクルマ好きは熱狂
初代サバンナRX-7がデビューしたのは1978年3月。エクステリアデザインはトヨタ2000GT以来となるリトラクタブルヘッドライトが最大のポイントだったのだが、当時の日本車としては珍しいリアのガラスハッチも斬新だった。イメージカラーの黄緑のほか、赤、イエローなどが売れたのも街中で目立つ要因だったと思う。
1978年といえば、スーパーカーブームも終焉に向かっている頃だったが、スーパーカーの証とも言われたリトラクタブルヘッドライトのクルマが当時170万円くらいで買えた、というのはまさに事件だった。スーパーカー熱に冷めかけていた少年たちも、これまで身近では見たことのないカッコよさに熱狂した。
私の地元ではマツダ車がどこよりも多く走っていた(旅行などで他府県に行くと、マツダ車を全然見ないのにびっくりした)。とは言えマツダ車を買うのはファミリーユースのオッサン世代で、若者の個人車はトヨタ車、日産車という図式があった。マツダ関連会社では通勤時、マツダ車しか駐車場に止められないため、トヨタ車所有の知人は近くに駐車場を借りて車通勤していたという。しかし初代RX-7が登場して激変したように思う。
エンジンは12A型ロータリー。RX-7を登場させるに当たり、ロータリーエンジンを新開発せず、既存の12A型ロータリーの改良を施して53年の排ガス規制をクリア。
昔のことを振り返るために、『ベストカーガイド』(『ベストカー』となる前の名前)のバックナンバーを見てみると、創刊6号目の1978年6月号でRX-7の紹介記事とともに、いきなり徳大寺有恒氏によるポルシェ924との比較試乗を掲載。評価的にはポルシェの価値だったが、世界の名門スポーツカーと比較したくなるほど期待感の高かったモデルであることがわかる。
RX-7が登場した時期は、日本車の暗黒時代。特に昭和54年規制によって日本車は牙を抜かれ、この先ハイパワーのスポーツカーは出てこないのではないか、と危惧されていたなか、ブレークスルーを果たしたのが初代RX-7なのだ。
60歳以上の自動車評論家も、「初代RX-7が日本のクルマ好きに夢を与えた」と声を揃える。リトラクタブルヘッドライトがカッコいいスポーツカーというイメージしかなかった子どもに走る由もないが、ある意味日本のクルマ史に名を残すクルマだろう。