富士重工の技術を惜しげもなく投入
アルシオーネに搭載されたエンジンは、1.8L、水平対向4気筒ターボの1種類のみ。これはレオーネとまったく同じエンジンながら、ボンネットが低いため補器類の配置は全面的に見直されたという。当時のインプレッション記事を読み返してみると、「エンジンの基本設計の古さにより、クルマのスペシャル感がスポイルされている」、とある。
トランスミッションは5MTと3AT。プレリュードなどのスペシャルティカーのライバルは4ATが当たり前だったため、これは見劣りした。
駆動方式はFF(前輪駆動)と富士重工の十八番の4WD(四輪駆動)。デビュー時の4WDシステムは、2WDと4WDを自動で切り替えるAUTO-4WDというものだった。
そのアルシオーネは1987年に新開発の2.7L、水平対向6気筒エンジンの追加、前後輪の駆動力を自在に変えられる電子制御アクティブトルクスプリット4WD、4ATの新採用など、非常に大掛かりなマイチェンを受けリフレッシュされた。
特に水平対向6気筒+トルクスプリット4WDは、ポルシェ959と同じということで、安く買えるポルシェ959と言われていた。そのほか、水平対向6気筒エンジンゆえ、『アルシオーネはポルシェを超えたのか?』というテーマで、いろいろなクルマ雑誌が企画を展開していたのも懐かしい。超えてはなかったが……。
トップグレードには自動で車高を一定にするオートレベリング機能付きのエアサスが標準装備されたことなど、とにかくアルシオーネには富士重工が当時持っていた技術が惜しげもなく投入されていた。
日本での累計販売台数は約8000台
アルシオーネは1985年6月から1991年9月まで富士重工のフラッグシップクーペとして販売された。1991年9月の販売終了と同時に、後継モデルであるアルシオーネSVXにその座を譲った。気になる販売台数は表のとおりで、6年3カ月で8027台。言い方は悪いが、たった8027台しか売れなかった。富士重工はスペシャルティクーペ市場に意気込んで新規参入したものの、惨憺たる結果となった。
要因はいくつもあるが、スバルは今でこそマニアックでニッチなクルマ作りが評価されてプレミアムブランドとしてポジションを築きつつあるが、1980年代はスバリストと呼ばれる熱狂的なファンを除き、知名度は低くブランド力も低かった。
それからライバルの存在。アルシオーネがデビューした1985年は、スペシャルティクーペでは初代トヨタソアラ、2代目トヨタセリカXX、2代目プレリュードが大人気だったし、ソアラに関して言えば、アルシオーネがデビューした半年後には爆発的ヒットモデルとなった2代目が登場している。
さらに、1985年8月には7代目日産スカイライン(通称セブンス)がデビューして、百花繚乱の賑わいを見せていた時期だ。ふたを開けてみればセブンスは大不評だったが、代わりにハイソカーブームを背景にトヨタのマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟が大ヒットして若者を魅了するなど、富士重工&アルシオーネの付け入るスキがなかったというもの不運だった。
ただ、前述のように空力の先鞭を付けたり、雨の日に自動で2WDから4WDに切り替える機能を4WDに与えたり、操作類を集積させるインターフェイスなど、現代に通じるクルマ作り、安全性など、富士重工のクルマだけでなく日本車全体にも大きな影響を与えたことは間違いない。
【アルシオーネXV主要諸元】
全長4510×全幅1690×全高1335mm
ホイールベース:2465mm
車重:1300kg
エンジン:2672cc、水平対向6気筒SOHC
最高出力:150ps/5200rpm
最大トルク:21.5kgm/4000rpm
価格:258万7000円(4AT)
【豆知識】
アルシオーネSVX(以下SVX)はアルシオーネの後継モデルとして1991年9月にデビューし、1996年に生産終了。SVXのデザインはジウジアーロが手掛け、流麗なプロポーション、全面ガラスのキャノピーは今見ても凄い。珠玉のユニットと誉れ高い3.3L、水平対向6気筒エンジン+トルクスプリット4WDにより走る場所を選ばないスポーツクーペとして評価も高かったが販売面で苦戦。中古車のタマ数は少ないが今でも人気が高い!!
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/SUBARU、ベストカー