TV CMが超マニアック
新型車が登場すると、TV CMが流される、というのが一般的だが、ギャランのTV CMがマニアックでカッコよかった。1997年のデビューから1992年に生産終了となるまでにいろいろなTV CMが流されていたが、どれもがイメージCMでカッコよかったし、何よりもCMに使われていた楽曲が超マニアックだった。
その一例を挙げると、ティエリー・ミュータン(フランス)の『Sketch Of Love』、マティア・バザール(イタリア)の『Amami』、シャロン・リフシッツ(イスラエル)の『If We Don’t』、ノヴァ・エラ(イタリア)の『Dopo l’infinito Dentro l’ingnoto』、シネイド・オコナー(アイルランド)の『Troy』など、上記のアーティストのファンには申し訳ないが私がまったく知らないシブいアーティストのシブい曲を使っていた。三菱の担当または、代理店が相当マニアックだったんだろう。
シネイド・オコナー(当時はシニードと言っていた気がする)が1990年にプリンスの楽曲『Noting Compare 2U』で世界的ヒットとなって、ギャランのCMの人ね、と思い出したくらい。そのシネイドも2023年7月に逝去。
クルマ界はミッド4-IIが話題独占
1987年のクルマ界で最も話題になったのは東京モーターショー1987で公開された日産ミッド4-IIにとどめを刺す。1985年に公開したミドシップ4WDスポーツのミッド4の進化版で、デザインはいつ市販されてもおかしくないほど洗練されていた。コンセプトカーではなく、市販を前提としたプロトタイプと言っていいものだったが、結局市販されず。日産の財政悪化などが要因と言われたが、ミッド4-IIがお位入りになったのは事件だった。
石原裕次郎氏の逝去
クルマ以外では、石原裕次郎氏の逝去はビッグニュースだった。私を含め当時の20代の若造にとって石原裕次郎氏といえば、TVドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系列・1972~1975年)のボス役程度の認識だったが、青春を捧げた私の母親は、「裕ちゃんがぁ~!!」と悲嘆に暮れていた。
そのほかのトピックは、アサヒスーパードライが発売されたこと。60%を超えるビールのシェアを誇ったキリンをアサヒビールが抜くことになるなんて想像もつかなかった。クルマ界に例えれば、三菱がトヨタを抜いてトップシェアになるようなものだから……。
豊富なバリエーションで万人受けを狙う
6代目ギャランはFF(前輪駆動)から販売を開始し、1.6L、1.8L、2Lをラインナップ。そして、4WDは2Lターボ+4WDのVR-4、2Lノンターボ+4WDのVX-4を追加。最終的には1.8Lディーゼルターボも設定し、シリーズ合計で5種類のエンジンを設定した効果もあり、6代目ギャランは一躍ヒットモデルとなった。
そんななか日本車が高性能追求時代に突入していたこと、景気のよさも後押ししてトップモデルの4WDターボのVR-4の注目度は絶大だった。
三菱の最新技術を満載
ギャランVR-4はハイテク満載で登場したのも特筆で、フルタイム4WD、4WS(四輪操舵)、4IS(四輪独立懸架)、4ABSといった三菱の最新技術が惜しげもなく投入された。これらのハイテク装備を三菱ではアクティブ4と命名していた。
それから心臓部も強力!! 今でも名機と誉れ高い4G63型の2Lターボエンジンは205ps/30.0kgm。205psはグループAのホモロゲ取得用として限定販売された日産スカイラインGTS-Rの210psに次ぐもので、2Lクラスのカタログモデルとしては当時最強スペックを誇った。デビュー時の車両価格は278万1000円。2Lセダンとしては高かったが、同時期にデビューした同じ4WDセダンの日産ブルーバードSSSアテーサが291万円だったことを考えるとむしろ安かったくらいだろう。
スポーツカーを相手にしない骨太な走り
三菱のエンジン特性は昔からパワーよりもトルク重視。ギャランVR-4は30.0kgmの最大トルクをわずか3000rpmでマークするため、強烈な加速性能を誇った。当時は前述のGTS-Rが2Lクラスの最速の座にあったが、ギャランVR-4はそのGTS-Rに肉薄するゼロヨン14秒45、最高速225km/hをマーク。これにはぶっ飛んだ。
同じ4WDのセリカGT-FOURを楽々とカモり、2Lクラスのスポーツカーをも相手にしなかった。デザインが骨太なら、走りも骨太だったのだ。
その一方で、ハイスペックだがトルクが太いため街中で扱いやすく、足回りもガチガチに固められていたわけではなかったのでセダンとしての使い勝手は抜群だった。