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カンパニョーロのマグネシウムホイールはマニア垂涎

ランチアストラトスのカンパニョーロのマグネシウムホイールは超絶カッコいい!!

実はこのシャレード デ・トマソは1981年の東京モーターショーで初代シャレードをベースにしたモデルが公開されていたが市販されず。ファンをがっかりさせたが、晴れて2代目ベースのモデルが1984年に市販された。

エンジンは「ネコ科のターボ」と同じながら、デ・トマソが監修したエアロパーツ(前後バンパー、フロントグリル、テールゲートスポイラーなど)、パンテーラを彷彿とさせる赤/黒ツートーンのボディカラー、専用にローダウンされたサスペンション、専用バケットシートなどが奢られていた。

パンテーラを彷彿とさせる赤/黒ツートーンのボディカラーはこれ以降、ミラターボなどダイハツのスポーツモデルのアイデンティティとなった

そして何よりもファンを喜ばせたのは、カンパニョーロのマグネシウムホイールだ。カンパニョーロはイタリアの自転車パーツメーカーだが、自動車ホイール部門もあって、カンパ(こう呼んでいた)のマグホールはクルマ好きの憧れの逸品だった。なにしろランチアストラトス、ランボルギーニミウラ/カウンタック、マセラティメラクなどイタリアンスーパーカー御用達だったからだ。

MOMOのステアリング、タイヤはピレリP8と合わせてイタリア製品でまとめられていたのもイタリアフリークもご満悦。それなのにターボが96万円だったのに対し、デ・トマソターボは123万円と専用装備を考えると超バーゲンプライスだった。

1989年代はMOMOのステアリングもクルマ好きの御用達だった

もう絶滅してしまった!?

デ・トマソの凄いのは限定車ではなくカタログモデルだったことで、ホットハッチ人気の高まりもあって、シャレードのイメージリーダーに君臨した。

赤/黒ツートーンがイメージカラーだったが、白いボディカラーのデ・トマソビアンカは500台限定で販売された。

精悍な専用バケットシートも大きな魅力だった

シャレード デ・トマソは4代目で復活したが、初代ほどの特別感はなかった。2024年6月中旬現在、ネットで中古車検索をしても初代シャレード デ・トマソの出モノはゼロ。少なくともここ2年くらい見たことはない。残存しているモデルがゼロではないだろうが、それに近い状態だと予想できる。現在所有している方は、大事に乗っていただきたい。

写真は4代目に設定されたデ・トマソだが、先代ほどのインパクトはなかった

世界最小のグループBカー登場!!

シャレードターボは市販車としては高性能だったが、モータースポーツに参戦するとなるとその参戦クラスが重要になってくる。そのクラスは排気量で分けられている。

シャレードの1Lターボエンジンの正確な排気量は993ccで、ターボエンジンはノンターボエンジンとのハンデをなくすためにターボ係数というのをかけたものによって排気量クラスが決まる。

排気量ダウンによりグループBのホモロゲーションを取得した926ターボ

当時のターボ係数は1.4だったので、シャレードターボは993cc×1,4=1390.2ccとなり、1300~1600ccクラスとなるが、1600ccクラスのパワーがあるわけではないので大きなハンデとなる。それを嫌ったダイハツは、1300cc未満のクラスで戦うために、926ccに排気量ダウンさせた926ターボを登場させた(926cc×1.4=1296.4cc)。

問題となったのはホモロゲーション取得で、グループAは連続する12カ月で5000台、グループBは200台のそれぞれ生産義務があるなか、ダイハツが選んだのはグループB。ということで826ターボは200台限定で販売された。

ポルシェ930ターボを彷彿とさせる車名、排気量が車名になっていること、日本車では希少なグループBホモロゲ取得車というスペシャル性によりあっという間に完売した。

1980年代前半から中盤にかけて最も画期的でニュースになったコンパクトカーだ。

幻に終わった究極のシャレード

2代目シャレードを象徴するデ・トマソ、グループBのホモロゲを取得した926ターボをミックスした究極の社レートというべきモデル、デ・トマソ926Rが1985年の東京モーターショーに出展された。

デ・トマソ926Rは、エンジンをミドに搭載し後輪駆動に変更。大きく膨らんだ前後のブリスターフェンダーによるワイドボディ、エアインテーク/エアアウトレット、ダクト類も精悍で、ルノーサンクターボを彷彿とさせるスペシャルシャレードだった。

当然ながら市販を切望する声は高く、当時クルマ雑誌などでその存在を知った筆者もワクワクしたが、市販されず幻に終わった。真偽は不明だがダイハツではなくデ・トマソのプロモーションモデルだったという説が有力だ。

前後の膨らんだフェンダー、エアインテーク、ミドシップなどこのデ・トマソ926Rへの期待感は激高だったが、市販されずに幻となってしまった

1970年代から1980年代の革命的コンパクト

初代以上の成功を収めた2代目シャレードは、1987年まで販売され3代目にバトンタッチ。3代目は洗練されたデザイン、ハイパワーエンジンの搭載などで玄人受けしたが、初代、2代目のようなインパクトは薄かった。

今思い返しても、初代、2代目シャレードは革命的で、ライバルに大きな影響を与えたモデルだと痛感する。その存在感はトヨタ、日産をも凌駕するものだった。

【シャレードデ・トマソ主要諸元】
全長3600×全幅1575×全高1390mm
ホイールベース:2320mm
車重:690kg
エンジン:993cc、直列3気筒SOHCターボ
最高出力:80ps/5500rpm
最大トルク:12.0kgm/3500rpm
価格:123万円(5MT)

【豆知識】
3代目シャレードは1987~1993年まで販売された。2代目が角ばったデザインだったのに対し、3代目は空力を意識した滑らかなエアロフォルムが特徴でドイツ車テイストに仕上げられていた。エンジンもトップグレードのGTtiの1LターボはSOHCからDOHCとなりリッターあたり100psを超える105psをマークするなど進化を遂げたが、販売面ではインパクトを残せず。ただダイハツ党からは根強く支持されていた。1989年にはシリーズ初となるセダンボディのシャレードソシアルが派生モデルとして登場した。

3代目シャレードは少々武骨な2代目に比べて洗練されたが、存在感は薄まった

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/DAIHATSU、ベストカー、ベストカーWeb

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市原 信幸
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