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イエス、シャレード!!

初代シャレードのCMキャラクターはハーフタレントのセーラ。CMはセーラの「イエス、シャレード!!」のフレーズで終わるのだが、CMのことは覚えていなくても、このナイスな発音のフレーズを覚えている人は多いはず。

シャレードのデビューした1977年と言えば、スーパーカーブームの絶頂期。そのほかでは空前の歌謡曲ブームで、男性では沢田研二、女性ではピンク・レディーが日本の音楽界を席巻していたと記憶している。小学生でさえ歌番組にかじりつき、『平凡』、『明星』の付録の”歌本”が大人気だった。

初代の後期モデルは角型ヘッドライトに変更された

アグレッシブな2代目

初代シャレードの成功により、ユーザーに「ダイハツって凄い!!」と印象付けたダイハツは、1983年に2代目シャレードを登場させた。ヒットした後のフルモデルチェンジは難しいと言われているが、結論から言うと2代目は初代を上回る販売をマークした。

2代目は初代よりさらにアグレッシブだった。元気な走りのターボモデル、デ・トマソ、世界最小排気量のディーゼルエンジン、モータースポーツ参戦などについて順に見ていく。

ホットハッチの先鞭をつける

2代目シャレードは、小さいけどユーティリティに優れるという初代のコンセプトをさらに進化させ広々とした室内を実現視程が、走りを劇的に進化させて若者にアピールした。

初代シャレードの成功をライバルメーカーが放っておくわけがなく、日産はマーチ、スズキはカルタス、スバルはジャスティを登場させてリッターカーマーケットに参入。

ライバルに対するダイハツの回答が、1Lターボエンジン搭載モデルの追加だった。1.3Lエンジンに匹敵する80ps/12.0kgmのスペックでライバルに差をつけた。「ネコ科のターボ」というキャッチフレーズのターボモデルによりライバルに先駆けてホットハッチ化を実現したのだ。

シャレードに搭載された4サイクルの3気筒ターボも世界初だ

世界最小排気量のディーゼル搭載

2代目シャレードのトピックとしては、1L、3気筒のディーゼルエンジンの搭載も見逃せない。これは当時世界最小排気量のディーゼルエンジン、つまり世界初の1Lディーゼルエンジンということだ。デビュー時にはノンターボ(38ps/6.3kgm)のみだったが、後にターボ(50ps/9.3kgm)を追加して、ガソリンエンジン車と遜色のない動力性能を手に入れた。

この1Lディーゼルエンジンの60km/h定地燃費はノンターボが35.0km/L、ターボが38.0km/Lをマークして日本だけでなく世界を驚かせた。

燃費に優れたディーゼルは音、振動のネガさえアピールポイントに変えるというダイハツのどん欲さが凄い

ネガを逆手に取った大胆戦略

 当時として世界最高レベルの燃費性能を誇った1Lディーゼルエンジンだが、21.5という高圧縮比だったこと、3気筒エンジンだったことによりガラガラ音と大きな振動を抑えることができていなかった。

今考えれば、「市販モデルのエンジンとしてどうなの?」「未完成品?」という感じだが、ダイハツはネガであるその音と振動を逆手にとって『Rock’nディーゼル』というキャッチコピーで大々的にアピールしたのだ。うるさい音も振動も、「ロックだからノープロブレムだろ!!」と暗に言っているのが凄いところ。

デ・トマソに憧れた!!

2代目シャレードの重要モデルとしてはデ・トマソの存在だろう。これにより若者のシャレードに対するイメージはさらにいいものになったのは言うまでもない。

ダイハツがイタリアのイノチェンティにエンジンを供給していた関係から実現。当時イノチェンティはデ・トマソが傘下に収めていたため、ダイハツとデ・トマソという夢のような日伊のコラボ車が登場することになったのだ。スーパーカー世代にとってデ・トマソパンテーラは人気の高かったモデルだったこともあり、デ・トマソへの憧れも強く、人気となったのは言うまでもない。

スーパーカーブームで人気のあったデ・トマソパンテーラといえば赤/黒ツートーン。見ているだけで痺れる~
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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