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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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掛川城5万1000石の城主に出世

掛川城といえば山内一豊。木造で復元された掛川城天守は、東海道新幹線の車窓からもその優美な姿を望むことができます。

一豊は尾張の出。長じて信長の家臣となり、秀吉にも仕えます。姉川の合戦で初陣し、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐にも参加していますが、個性の強い武将の多い豊臣政権下では、それほど目立った存在ではありません。それでも若狭高浜の城主から近江長浜の城主に、家康が関東に移封となった後、掛川城5万1000石の城主にと出世しています。

内助の功という言葉が出ると必ず紹介され、戦国時代の賢妻の代表といえるのが、一豊の妻であるお千代さんです。戦前には教科書にも載っていたそうです。出自に関しては諸説ありますが、エピソードもたくさん残っています。それだけ魅力的な女性だったということでしょう。

掛川城 Photo by Adobe Stock

当時はほぼ男女同権だと思えるエピソード

一豊が信長に仕えた頃、安土城下に大きな馬市が開かれた、とも「東国一」といわれる名馬を売りにきた人がいたとも、伝えられていますが、いずれにせよ一豊はある馬を見て「ウォッ」と思います。一豊は欲しいのですが、目の飛び出るような価格に手が出せません。この馬で馬揃えに臨めば、さぞ信長公も感心されるだろうに。「貧乏ほど悔しいことはない」と、一豊はお千代さんにこぼしました。

するとお千代さんが「いくらするのですか?」と尋ねます。「10両だ」と一豊がこたえると、おもむろにお千代さんは、結婚の時、実家から持ってきたへそくりの10両を出してきます。夫の大事の時は妻が必死に支える、「糟糠の妻」の典型ですが、中世女性史がご専門の京都橘大学の田端泰子名誉教授によれば、当時はほぼ男女同権だったということです。結婚した女性は夫に内緒で、実家からの持参金を隠し持っている「自由さ」を持っていたということです。二人はとても仲が良く、一豊は妻ひと筋で、生涯側室をおきませんでした。

まあ、それはさておき、お千代さんが買ってくれた名馬にまたがって馬揃えに参加した一豊の姿が信長公の目にとまり、「よくぞ織田の家来を目当てにわざわざ東国から出てきた馬喰たちをむなしく返さず、恥をかかせないでくれた」と誉め、200石を賜ったということです。これから一豊の出世が始まります。

掛川城御殿 Photo by Adobe Stock
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家康を感激させたお千代のファインプレー...
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松平定知
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