撮影フィルムをヒースロー空港から空輸
「雅子さんの肉声が取れました。写真もたくさんあります」
私はさっそく東京の編集部へ電話すると、「今週の締め切りに間に合う。いますぐ、ヒースロー空港のカーゴに持ち込め」と、デスクの声が響きました。
私は、そのインタビューの様子を撮影したフィルムを、70kmほど離れたロンドン郊外はヒースロー空港のカーゴエリア(航空貨物)へ運びました。当時はまだデジタルカメラの時代ではなく、入稿するフィルム素材は航空便で送るしかなかったのです。
しかも、「その日の便に間に合わなければ、記事は翌週回しとなる。なんとしても間に合わせろ」とのこと。そこで、朝からチャーターしていたタクシーに飛び乗りました。150kmを超えるような猛スピードと感じましたが、とにかく高速道路をすっ飛ばしてくれ、日本への貨物の最終扱い時間に滑り込んだ記憶があります。ひどい車酔いとなりましたが……。
このときのインタビューのやりとりは、現地にいたテレビ局のワイドショーや、取材の場にはいなかった他のメディアにより、翌週以降「小和田雅子さまが、お妃拒否宣言!」というような内容で伝えられました。私は腹が立ちました。
けれどもその4年後、このインタビューは「皇太子さまご婚約内定」の際、大きな話題となっていくのです。それは、1993年1月6日のご婚約内定報道の際、唯一の「雅子さまのスクープ肉声」として、テレビで繰り返しオンエアされたからでした。結果的に大金星になりました。
「同じオックスフォード大学で学んだ雅子とともに」
私は、この“世紀の肉声”を引き出した一人として、会社から10万円の金一封をいただきました。浩宮さま時代からの番記者として、10年ほどがたっていました。
「お妃が雅子さまと決まって、ほんとうによかった!」
雅子さまのご婚約が内定したとき、私は心からほっとしました。雅子さまをオックスフォードまで追いかけてしまったことは、私の心の中でも“ささくれ”のようになっていました。それが、天皇陛下の一途な思いで、世紀の結婚へとつながったからでした。
天皇陛下は、2023年に復刊したご著書の英国留学記『テムズとともに 英国の二年間』(紀伊國屋書店)のなかで、こんな一文を加えられていました。
《遠くない将来、同じオックスフォード大学で学んだ雅子とともに、イギリスの地を再び訪れることができることを願っている。》
その願いがいま実現した天皇、皇后両陛下。1993年6月の結婚から31年が過ぎていました。
文/沢田浩
さわだ・ひろし。書籍編集者。1955年、福岡県に生まれる。学習院大学卒業後、1979年に主婦と生活社入社。「週刊女性」時代の十数年間は、皇室担当として従事し、皇太子妃候補としての小和田雅子さんの存在をスクープ。1999年より、セブン&アイ出版に転じ、生活情報誌「saita」編集長を経て、書籍編集者に。2018年2月、常務執行役員パブリッシング事業部長を最後に退社。