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ペリーがやってきた翌年に再建

加藤嘉明が開いた松山藩ですが、その後加藤氏は加増のため会津に国替えとなり、代わって蒲生氏が治めます。しかし蒲生氏も後継ぎがなく断絶。その後寛永12(1635)年、徳川家康の異父弟・久松定勝の次男である松平定行が松山城に入り、以来明治に至るまで松平氏が藩主として治めることになりました。現在の天守は加藤嘉明が作ったものではなく、ペリーが浦賀にやってきた翌年、安政元(1854)年に再建されたものです。

松山城から見た松山市街 Photo by Adobe Stock

松山城は、江戸期に建てられた現存12天守のひとつに数えられますが、実は親藩の大名(松平氏)が作った唯一の天守なのです。そのため天守の紋章は葵の御紋となっています。
ちなみにですが、先の定勝や定行と名前が似ているのでお気づきかもしれませんが、私はこの久松松平家の傍流の末裔であります。

松山城 Photo by Adobe Stock

【松山城】(別名・金亀城、勝山城)
標高132mの勝山(かつやま)に築かれた日本一高い平山城。関ヶ原の合戦の功で伊予を与えられた加藤嘉明が慶長7(1602)年に築城開始。四半世紀にわたる時を経て寛永4(1627)年に五重の天守で完成するも、直前に嘉明は会津に転封。その後火災により天守は焼失し三重で再建なるが、それも焼失。安政元(1854)年、再建したのが現在の天守だ。江戸時代からの現存天守12城のひとつで21件もの重要文化財に指定されている。
営業時間:天守・二之丸史跡庭園9~17時(※8月:17時半まで営業、12月~1月:16時半まで営業)
定休:12月第3水曜日(大掃除)
天守観覧料:大人520円、小人(小学生)160円
ロープウェイ・リフト料金:往復券大人520円、小人260円
住所:愛媛県松山市丸之内1
電話:089ー921ー4873(松山城総合事務所)

【加藤嘉明】
かとう・よしあき(よしあきら)。1563~1631年。徳川家康の家臣だった父の長男として三河に生まれる。父が三河一向一揆で家康に背き、一家も流浪するが長浜城主だった羽柴秀吉に仕え、柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いでは、加藤清正や福島正則とともに賤ヶ岳七本槍に数えられた。秀吉が亡くなると家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍につき石田三成本隊とも戦い功を挙げ、伊予20万石を与えられる。清正や正則は秀吉の子、秀頼の行く末を案じたが、嘉明はドライであったためか、実力ほど人気がない武将だ

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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