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車両のデザイン

「神様をお乗せするにふさわしい車両にしよう……」。当時の鉄道省の設計担当者らは、希望と不安にさいなまれながら試行錯誤を繰り返したという。車体の外観は、皇室の品位と神事に失礼のないデザインとし、内装は神殿造りを模したものとなった。車体は、当時の一般車両と同様に木造で、塗粧は漆塗り。内装は総ヒノキ造りで、神様の乗降扉は二枚折りの観音開き戸とし、扉の合わせ目には菊の御紋章を取りつけた。

車内の室割は、掌典室(掌典とは男性神職、現在では天皇の私的使用人)が3室、中央に賢所奉安室、内掌典室(内掌典とは天照大御神にお仕えする未婚女性神職)、トイレ付き内掌典室、掌典室と配置された。

現代では政教分離の原則があるため、”神様が乗る車両”の製作は考えられないが、当時は「天皇=現人神(あらひとがみ)」とされた時代ゆえ、国費を投じて製作することとなった。記録によれば、その費用は当時の価格で2万2299円。現在の貨幣価値なら約2400万円(戦前の企業物価指数により算出)ほどになるという。こうして、世界に類のない鉄道車両は、1915(大正4)年10月に鉄道省大井工場(東京都品川区)で誕生した。

賢所乗御車の外観。車内は総ヒノキ造りで、昭和の末期でも“ヒノキの香り”が漂っていた=写真/宮内公文書館蔵
二枚折の観音開き戸を開けると、そこには“神様”とされる御神体を納める賢所奉安室がある=写真/宮内公文書館蔵
賢所奉安室の内部は、このような造りになっていた=写真/宮内公文書館蔵

使用されたのは2回だけ

賢所乗御車は、使途が限られることから、大正と昭和の即位の礼にしか使用されていない。いずれの時も、皇室の専用列車「御召列車(おめしれっしゃ)」に編成され、天皇とともに東京と京都を往復した。

現代では、東京と京都は新幹線で約2時間16分で移動できるが、当時は東京と名古屋でさえ13時間を要した。結果、途中の名古屋で一泊する行程が組まれた。もちろん、名古屋では天皇と一緒に御神体は“下車”し、名古屋離宮(旧名古屋城)で一夜を過ごした。走行する賢所乗御車の車内では、”神様のお世話役”である内掌典が、”御神体の御心をお鎮めするために鳴らす”鈴の音が、ときおり聞こえたと、当時の鉄道関係者は語っている。

平成の即位の礼の際にも、儀式を京都御所で行うべきか、皇居(東京)で行うべきかが議論された。実際には、皇居(東京)で行われ、賢所乗御車が平成の時代に使用されることはなかった。無論、こうした皇室の神事は、政教分離の原則から天皇家の私的行事として行っており、京都御所まで輸送することは現実的ではなかったのではないだろうか。

この“神がかった車両”は、車齢109年を迎えた現在も、東京都内にあるJRの車両修繕施設内で保管されている。

昭和御大礼の御召列車=昭和3年11月6日、当時の東京駅にて写す。写真/星山一男コレクション(筆者所蔵)
東京駅に到着した「賢所乗御車」を編成した御召列車。プラットホーム上では、掌典職らが「御神体」の到着を待ちわびる=1928(昭和3)年11月27日、東京駅、写真/宮内公文書

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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