慰霊の日に召し上がる郷土料理
8月15日、昭和天皇の玉音放送を経てたくさんの苦しみをもたらした第二次世界大戦は終わり、国民は復興に向けて生活を立て直していった。しかし、戦争の陰はまだ引きずったままであった。日本の降伏後、アメリカに施政権が移されたままの土地があったのだ。
やがて上皇陛下と美智子さまはご結婚され、お二人は国内外の慰霊と鎮魂の旅を始められた。そして、訪問されたそれぞれの地方や国の思い出を大切にするために、毎年、そのご訪問日に土地にゆかりの料理を召し上がるようになった。
1953年(昭和28年)12月25日の奄美群島日本復帰、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄日本復帰、1945年(昭和20年)6月23日の沖縄戦終結を記念した慰霊の日には、陛下と美智子さまは沖縄と奄美大島のそれぞれの郷土料理を召し上がる。
沖縄ゆかりの日には、揚げ菓子「サーターアンダギー」に、発酵食品の「豆腐よう」やプチプチとした食感の「海ぶどう」。奄美群島ゆかりの日には、鶏肉や錦糸玉子をのせたご飯に鶏スープをかけて食べる「鶏飯」などである。
2023年(平成5年)12月23日、上皇陛下のお誕生日に際してこのようなご近況が伝えられた。
「沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には、上皇后さまとご一緒に黙祷され、終日を静かにお過ごしになっていますが、沖縄や戦争と平和への想いは今なお強く、……上皇后さまとのお話の中でも、琉歌や琉球舞踊など沖縄の文化や歴史、沖縄のハンセン病療養所等をご訪問になった思い出とともに、ご疎開中の日光や終戦直後の東京都小金井市の東宮御仮寓所でのご生活、軽井沢大日向を開墾した満蒙開拓団の人々のことなどがよく話題になっています。……」
天皇を退位されてからも、上皇陛下と美智子さまは戦火の爪痕の残る土地に心を寄せ続けられている。(連載「天皇家の食卓」第21回)
参考文献/『橋をかける 子供時代の読書の思い出』(美智子著、文春文庫)、『天皇皇后両陛下の80年 信頼の絆をひろげて』『皇后さまと子どもたち』(ともに宮内庁侍従職監修、毎日新聞社)、『宮中 季節のお料理』(宮内庁監修、扶桑社)、『天皇家の姫君たち』『美智子皇后「みのりの秋(とき)」』(ともに渡辺みどり著、文春文庫)、宮内庁ホームページ
文・写真/高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。