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なぜ人気が出なかったのかが不思議

初代RAV4にはパーソナルセレクションというサービスが設定されていた。日産ジュークや初代トヨタアクアで、ドアミラー、バンパーパーツの差し色がパーソナライズできるというサービスがあったが、要は自分好みの一台が作れるというもの。

しかし、RAV4のパーソナルセレクションはレベル違い。ボディカラーは鋼板部分(上半分)が12色、樹脂部分(下部分)が11色から選択可能となっていて、そのパターンは12×11=132通り!!

クロカンの証である背面タイヤはRAV4でも装着されオフロードムードを楽しんだ

さらにシートカラーも15のパターンから選択でき、カラーセレクションとして10色で、各シートで違う色も選択可能。さらにヘッドレストは5色用意され、ドアトリム、カップホルダー、ドアグリップなどもカラーの選択が可能ということで、その組み合わせはほぼ無限大と言った感じだった。

これだけ大掛かりな選択ができるのに、価格は車両価格+9万円!! ウソでしょというほど

安い。当時も絶対大ウケ間違いなし、と思っていたが意外や意外に台数は出ずけっこう早めにサービス終了したのはもったいなかった。ユーザーのニーズをつかむのはホント難しい。

中古狙いもあり!!

イージーさが魅力のATモデルが販売の主流だったが、走るのが好きな人には5MTも用意されていてそれなりに売れていた。

実は『ベストカー』で長年仕事をお願いしている某カメラマン氏は中古で初代RAV4の3ドアに10年以上も乗っていたが、これがMTモデルで氏のお気に入りだった。シフトストロークは長くスポーティではないが、クラッチのつながりもわかりやすく運転しやすいので、MTビギナーにオススメと絶賛していた。今となっては中古車のタマ数は少ないが、3ドアモデルで100万円前後から手に入れられるので個性派のSUVでMTモデルを探している人には打ってつけ。

当時はグリルガード(カンガルーバー)もクロカンの必須アイテムだった

しょっぱい思い出

これまで初代RAV4の魅力について書いてきたが、実は筆者にとって物凄く思い出深い一台なのだ。

筆者は編集者として『ベストカー』が作りたいために三推社(現講談社ビーシー)に入社したのだが、入社後配属されたのは編集部ではなく広告部。まぁ、入社してからしばらくは夢破れた感があって、「俺がやりたいのは広告営業じゃない!!」とけっこう落ち込み、本気でやめようと思ったこともあった。

いろいろすったもんだあったが、1994年4月1日から念願のベストカー編集部に異動。編集部員として初めて撮影会に行ったのが初代RAV4だった。いいページを作りたくて撮影会ではRAV4のデザイナーをはじめとする開発陣に話を聞きまくった。実際にはページを担当させてもらえず、取材で得た知識は誌面に反映することはなかったが……。

初代RAV4をたまに街中で見たりすると、ちょっとしょっぱい気分になるのだ。

ソフトトップモデルはよりスポーティ感が増す。写真は北米で販売されたコンバーチブル

天国と地獄

筆者がベストカー編集部に配属されたのは初代RAV4とほぼ同時期ということになるが、初代RAV4がデビューした1994年5月は筆者にとっては天国と地獄を味わった。地獄に関しては筆者だけでなく世界的なものだった。

その地獄とは、F1ドライバ―のアイルトン・セナが1994年5月1日決勝のサンマリノGPで事故死したこと。筆者はそれほどまでセナに思い入れはなかったが、世界最高のドライバーの死についてはいろいろ考えさせられた。

世界的なヒーローだったアイルトン・セナは1994年5月日にサンマリノGPの決勝レース中に事故死

一方天国は、配属早々に海外取材に行かせてもらったこと。DTMに参戦していたオペルカリブラのレース取材でドイツに行った。レース観戦のほかF3マシン試乗、ニュルブルクリンクのオールドコースの同乗試乗などなど、目からウロコの連発。

その時にお世話になった人たちとは今でも親交を温めている。

筆者は2024年で編集者として30年になるが、それがスタートしたのが初代RAV4がデビューした1994年なのだ。

【初代トヨタRAV4 L(3ドア)主要諸元】
全長3695×全幅1695×全高1655mm
ホイールベース:2200mm
車両重量:1180kg
エンジン:1998cc、直列4気筒DOHC
最高出力:135ps/6000rpm
最大トルク:18.5kgm/4400rpm
価格:189万8000円

【豆知識】
初代エスクードはラダーフレームを持つコンパクトクロカンとして1988年にデビュー飾った。クロカンとしてはジムニーを持つスズキだったが、街中での使用の快適性を盛り込んで新たなジャンルを確立。一躍大ヒットモデルとなった。デビュー時は3ドアのみだったが、5ドアを追加して販売を伸ばした。パートタイム4WDによる走破性は高く、マニアからも支持された。エンジンは1.6L(82ps/13.1kgm)と非力だったが、軽量ボディにより加速性能にも不満はなかった。

前後のオーバーフェンダー、スクエアなデザインなど武骨さも初代エスクードの魅力

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、SUZUKI、MITSUBISHI、HONDA、ベストカー

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市原 信幸
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