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父・昭和天皇と再会した3日間

疎開生活で明仁皇太子がこれまでになかった初めての経験は、食糧不足によるひもじさと、両親と長期にわたって会えぬ寂しさだったであろう。皇太子の級友によると、食糧事情の悪化は疎開先も例外ではなく、皇太子も食糧の足しになる野草の葉や木の実を求めて山野を練り歩き、生まれて初めてのひもじさも味わったが、最もつらかったのは、立場上かなわぬ両親との面会だった。

「子どもたちにとって、最高の喜びは父母の訪問である。何か月かに一遍、決められた面会日に、東京から泊りがけでやってくる。(略)貴重なチョコレートや饅頭の味が忘れられない。この母に会える瞬間の歓喜は生涯でも、最大級の嬉しさだったような気がする。しかし、同級生のなかで唯一人、この喜びを味わえない子がいた。御用邸のなかの皇太子殿下である」

級友の一人、明石元紹は『今上陛下つくらざる尊厳』(講談社)の中で、こう述懐しているが、皇太子と両親との再会は、奥日光から帰京した翌日の11月8日からわずか3日間だけだったが、皇居で両親との水入らずの時間を過ごす形で実現した。皇居内の畑で香淳皇后と皇太子、義宮(常陸宮)の3人は芋堀りを楽しんだ。

明石は「結婚して実現させた、美智子妃殿下との家庭づくりの信念も、この3日間から芽生えたのではないか」(同)と推測している。

美智子皇太子妃との結婚で、古くからの皇室のしきたりであった乳母(めのと)制度を廃止し、3人の子どもたちをお手元で育てる家庭づくりである。

また、帰京当日、原宿の皇族専用のプラットホームから久しぶりに見た東京の光景は、皇太子の脳裏に強烈な印象を刻み込んだ。

「東京に戻って来たとき、まず、びっくりしたのは、何もないということですね。建物が全然ない。原宿の駅に、周りにも何もなかった。これがいちばん印象に残っています」

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吉原康和
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