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3・11と戦争体験

昭和57年の記者会見で、明仁皇太子は、帰京した日に見た東京の印象を述べているが、平成23(2011)年、東日本大震災で被災地を見舞われた際、津波にさらわれた町に立ち、上皇后と一緒に頭を下げて祈りをささげた国土は、「終戦直後に見た東京の光景の再現のように感じたのではないか」と明石は語る。

陛下は、生前退位の「お気持ち」をビデオメッセージで伝えた(2016年8月8日)写真提供:宮内庁

東日本大震災と福島第二原発事故の発生直後、東京電力による計画停電の実施に合わせて、天皇一家のお住まいのある皇居・御所も自主停電を行った。皇居は計画停電の対象外のエリアだったが、「国民と困難を分かち合いたい」との上皇夫妻の意向を踏まえて御所での電気の使用を控え、ろうそくや懐中電灯を使って夕食を取られた。

当時、宮内庁参与を務めた三谷太一郎は「陛下の提案で、御所での参与会議もろうそくの火をともす暗がかりの中で行った。戦時中に疎開を体験した両陛下にとっては、ごく当然という振る舞いで、むしろ、国難ともいえるあの大震災と原発事故を、『第二の敗戦』と感じて象徴としての対応に腐心されていたようでした」と話してくれたことがあった。

第二次世界大戦の終結後、戦後復興と戦争で疲弊した国民を激励するため、昭和天皇は昭和 21年から8年半かけて、全国各地(沖縄県を除く)を巡る「戦後巡行」を行ったように、上皇夫妻は、東日本大震災後に東北の被災地などを7週連続で訪問し、被災者を励まし続けた。

1年半に及ぶ疎開生活と帰京したときに見た東京の光景。結婚後、共に携えて象徴天皇像を模索する旅路の原点が、そこにあったのかもしれない。

吉原康和(よしはら・やすかず)
ジャーナリスト、元東京新聞編集委員。1957年、茨城県生まれ。立命館大学卒。中日新聞社(東京新聞)に入社し、東京社会部で、警視庁、警察庁、宮内庁などを担当。主に事件報道や皇室取材などに携わり、特別報道部(特報部)デスク、水戸、横浜両支局長、写真部長を歴任した。2015年から22年まで編集委員を務め、宮内庁担当は、平成から令和の代替わりの期間を中心に通算8年。主な著書に『歴史を拓いた明治のドレス』(GB)、『令和の代替わりー変わる皇室、変わらぬ伝統』(山川出版)、『靖国神社と幕末維新の祭神たちー明治国家の英霊創出―』(吉川弘文館)など多数。

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吉原康和
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