「町」中華のレジェンド【3】漫画界のレジェンドが愛した絶品餡かけそば『一番飯店』3代目 山本隆正さん
2代目の義家さんは1953年生まれ、71歳。3代目の隆正さんは1985年生まれ、39歳。現在はふたりで厨房に立つが、手塚氏が愛した味で、2011年に復活した伝説の名物「特製上海焼きそば」を作るのは今も義家さん。完売するほど人気の餃子は隆正さんが担当する。
期待に応えるよう日々丁寧な仕事を心掛けています
初代は腕利きの料理人だった。名店「揚子江菜館」で働いていた時に常連のエノケンこと榎本健一に気に入られ、その紹介で歌舞伎界や当時首相だった吉田茂の頃の官邸料理人として活躍した。1952年、白金台に店を構え、浅草出店の失敗を経て54年に高田馬場へ。以来この地で70年、街と共に歴史を歩んできたことになる。
現在の高田馬場は学生街で知られるが、昔は時計や染色などの工場が多く、職人の街でもあったそうだ。
「昼は工場で働く人が詰めかけて、店に入りきれないお客さんが外の道路で食べていたほど」。2代目の山本義家さんが伝える。時代は高度成長期、がむしゃらに働いていた日本人の胃袋を支えた初代の味、それが店の礎。
「昔の味は変えられないと思っています。だから分量を細かくレシピ化してるんです」。意外だった。だって料理人は「仕事は見て覚える、技を盗む」とよく言うから。
実際、山本さんもそうだ。20歳頃から店で働いたが、厨房に入れたのは30歳を過ぎてから。手取り足取りなんて教えてくれない。だが作る人が変われば味も微妙に変わるもの。「親父に頼み込み、調理の手を止めてもらいながら計量して料理ごとにメモした。今でも味が変わったとは言われたことはないですね」