1998年出店時の裏話
私たちは、新横浜ラーメン博物館をオープンして4年後の1998年の春に、「井出商店」との契約を終え、出店の準備をしていたのですが、出店の2カ月前にある大きな事件が起こりました。
その事件とは「和歌山カレー事件」です。「井出商店」が、ラー博の店をオープンする直前まで、連日、この事件のことが報道されて、気が気でなかったのですが、私たちは、ラー博に「井出商店」がオープンすることを発表しました。
しかし、不安をよそに、8月後半からラー博店への取材が殺到することとなりました。なぜなのか? 私たちは、のちにその“理由”を知ることとなりました。
あの事件で、全国のメディアが和歌山に駆けつけ、長期間滞在していたのですが、仕事の合間に「和歌山中華そば」を食べていたようで、メディアの人たちの間ではちょっとしたブームになっていたそうです。なかでも、「井出商店」は人気が高く、「あの井出商店が、首都圏で食べられるのか……」ということで、取材が殺到したのでした。
井出商店が残した数々の記録
「井出商店」がラー博に期間限定出店をしていた1998月10月1日から、1999年5月30日までの間、わずか23席の店内で食されたラーメンはトータルで、21万2610杯。1日平均で893杯ということになります。これは平日も含めた平均ですので、ラーメン店としては驚異的な数字です。しかもその期間、行列は一度たりとも途切れることはありませんでした。そして5月の連休中には、最長待ち時間3時間30分を記録しました。
社会現象といっても過言ではないブームを巻き起こした和歌山中華そばは、その後、「和歌山ラーメン」として、その名を全国に広めた功績が認められ、1999年3月25日に、和歌山県知事から「観光功労者感謝状」を受けました。これもラーメン店としては異例のこと。戦後屋台から始めた一ラーメン店の功績が、世間を驚かせました。