全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、福島県会津若松市で100年近く愛される店「牛乳屋食堂」を紹介します。
心がほっとする食堂のラーメン
福島は会津若松の地で、長年愛されている「牛乳屋食堂」。私たちは「牛乳屋食堂」に“ふるさとラーメン”というシリーズ企画のもと、出店いただきました。
それは、ラーメンも出せば、かつ丼もあるという食堂文化がおもしろかったのと、最初にラー博に出店いただいた当時(2009年)で、すでに創業80余年であったいう点、そして、何よりも地元に根づいているということで、出店のお声がけをさせていただきました。皆さん本当に温かい人ばかりで、心がほっとする食堂です。もちろんラーメンも絶品。
ラーメン店なのになぜ、「牛乳屋食堂」なのか? その歴史をご紹介していきます。
【「牛乳屋食堂」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:2009年3月6日~2010年2月28日
・「あの銘店をもう一度」出店:2022年7月22日~2022年8月11日
初代のおばあちゃんが牛乳屋から始めた食堂
年号が大正から昭和へと移った時代。1927年、会津鉄道が開通し、芦ノ牧温泉駅(旧国鉄・上三寄駅)ができることになり、馬車宿を営んでいた井上幸美さんと、キヨノばあちゃんが2人で駅前に「牛乳屋」を始めました。
鉄道の開通に伴い、駅には多くの人々が集まっていたことから、初代となるキヨノばあちゃんが、当時隣に住んでいた中国の人から、本場の「支那そば」の技術を学び、ラーメン屋さんを開いたのが「牛乳屋食堂」の始まりです。
当時の牛乳屋からスタートしたことから屋号は「牛乳屋食堂」となりました。そして、「牛乳屋食堂」の特徴は、店主が四代すべて女性であるという点でした。