全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、埼玉県の川越に店を構え、つけ麺が広く親しまれるきっかけとなったお店「頑者」を紹介します。
年じゅう食べられるつけ麺を生んだ店
つけ麺の歴史は意外と古いものの、一般的に年じゅう食べるようになったのは2008年前後のようです。そして、つけ麺の歴史のなかで大きなエポックをつくったのが、ここで紹介する埼玉県は川越の「頑者(がんじゃ)」です。
新横浜ラーメン博物館30周年企画「あの銘店をもう一度」には、2022年8月12日から、9月1日の間、出店いただきました。「頑者」が作った新たなスタイル「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」は、その後、全国的に広まり、今では多くのラーメン店のお手本となって定着しています。
いかにして、この“お手本スタイル”が生まれたのか? なぜ、魚粉を入れるようになったのか? その歴史をご紹介したいと思います。
【「牛乳屋食堂」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:2010年6月2日~2014年9月23日
・「あの銘店をもう一度」出店:2022年8月12日~2022年9月1日