「頑者」が作り上げた新しいスタイル
1985年、創業者・大橋英貴さんの父親である故・大橋英政さんが製麺会社「有限会社ひかり食品」を設立したところから歴史は始まります。1993年、川越市月吉町にまずは、「ガンジャ」というカタカナ名の店をオープン。
つけ麺ではなくラーメンを主体とした店でしたが、2000年には川越市新富町に漢字の「頑者」をオープンします。「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という、新しいつけ麺のスタイルを作り上げ、「東京ラーメンオブザイヤー」の最優秀新人賞(2001年)、つけ麺部門最優秀賞(2002年~2005年)など、数々の賞を総なめにしました。
その後、「頑者」のスタイルにインスパイアされた数々の有名店が「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」を取り入れ、このスタイルはとくに2010年代に多くのお店で模倣されました。
つけ麺は大勝軒の「特製もりそば」が開祖とされる
つけ麺の歴史は1955年に東池袋の「大勝軒」が発売した「特製もりそば」が元祖で、最初といわれています。その後、1973年に創業し、チェーン展開を行った「元祖つけ麺大王」が、「つけ麺」という言葉を生み出しました。
しかし、この段階での「つけ麺」は一部のもので定着するまでには至りませんでした。
つけ麺がより広く定着するきっかけとなったのは、2000年頃からのことです。なかでも、川越の「頑者」が、「極太麺×濃厚つけダレ×魚粉」という新しいジャンルのつけ麺を生み出したこと。同時に、東池袋「大勝軒」の店主・山岸一雄氏のお弟子さんが独立し始め、“大勝軒系列”の店が増えたことも関係しているでしょう。
その後、2002年に初のつけ麺専門店として「ぢゃぶ屋」がオープンし、「頑者」のスタイルから影響を受けた「六厘舎」や、つけダレに焼き石を投入するつけ麺を提供する「つけめんTETSU」など、個性あふれるつけ麺店が登場。2009年には、つけ麺だけを集めた「大つけ麺博」まで開催されました。