世界一背の低いクルマ
童夢-零のボディサイズは全長3980×全幅1770×全高980mm。全幅は当時としては珍しい1700mmをオーバーする1770mm。そして童夢-零を世に送り出すために何か世界一の要素を盛り込みたかったという。そこで世界一背の低いスポーツカーが開発ターゲットとなった。実際に1mを切る980mmの全高は異次元レベルだった。
それがどれだけ凄いことなのかは、並みいるモデルの全高を見れば明らか。
■ランボルギーニミウラP400:1055mm(P400Sは1100mm)
■ランボルギーニカウンタックLP400:1070mm
■ロータスエスプリ:1111mm
■フェラーリ512BB:1120mm
■ロータスヨーロッパ:1130mm
スーパーカーたるゆえんは“地を這うような”と表現される背の低さにあるが、当時一般に認知されていたスーパーカーたちも全高が1mを切るモデルは皆無。童夢-零は当初の目的どおり世界一の称号を手に入れたのだ。
童夢-零に関わったメンツが凄い
童夢プロジェクトによって誕生した童夢-零だが、それに携わったメンツが凄い。ボディデザインを担当したのは林氏とムーンクラフト(1975年設立)代表の由良拓也氏。由良氏は某インスタントコーヒーのCMにおいて「違いのわかる男」としてお茶の間でも知名度を上げたが、これは1984年のことで童夢-零が発表されてから6年後のこと。
そのほかでは、マキF1をデザインした三村健治氏、マキF1、コジマF1に携わっていた小野昌朗氏が設計を担当するなど、今考えても凄いことだ。これだけのメンツが集まったのは、当時林氏がレースを一時断念していたように、レースビジネスが過渡期にあり、そのタイミングが合致したということだろう。各人とも忸怩たる思いがあっただろうが、4人が揃わなければ童夢-零は誕生していない。
エンジンは見劣り
童夢-零はシャシー、ボディデザインはすべてオリジナルだが、エンジンは既存のものを使用。童夢では性能面、メンテナンス性と手に入れやすさという点で日産の直列6気筒のL型エンジンをチョイス。排気量は2753ccで、最高出力は145ps/5200rpm、最大トルクは23.0kgm/4000rpmというスペックだった。燃料供給装置はソレックスの3連キャブレター。『ソレ・タコ・デュアル』、ソレ:ソレックス、タコ:タコ足、デュアル:デュアルエキゾーストと昭和時代の三種の神器と崇められていたのが懐かしい。
エキセントリックなデザインの童夢-零だったが、世のスーパーカーたちがV12だとか、350psオーバーと文字どおりスーパーだったに対し、エンジンはいたって普通。この点は少々残念だったが、エンジンを一から製作するとなると莫大なお金がかかるため必然の成り行きだった。