今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第55回目に取り上げるのは1989年に登場した2代目トヨタMR2だ。
初代はある程度成功
1984年に日本初の量産ミドシップとして登場した初代トヨタMR2。1989年まで生産され、日本で約4万台を販売した。約5年という販売期間からすれば、年間8000台で月販平均にすれば700台弱となる。数字だけ見れば多くない。しかし、1883~1987年に販売されたAE86カローラレビンが約6万6000台、スプリンタートレノが約3万6000台と比べてもそん色ない。MR2は2シーターという日常使ううえで制約がある特殊なクルマだったにもかかわらず、ユーザーからは根強い評価を得ていた証拠だ。
得することよりも損することを嫌うトヨタがMR2の2代目を登場させたというのは、初代モデルに対しトヨタが一定の評価をしていたことと、そのマーケットには需要を含め可能性があると判断したからだろう。
2代目はビンテージイヤーに登場
2代目MR2がデビューしたのは1989年10月。バブル華やかな時代で、マツダからユーノスロードスター、日産からはフェアレディZ(Z32型)、スカイライン&スカイラインGT-R(R32型)のスポーツ>、高級セダンでは初代トヨタセルシオ、日産インフィニティQ45が登場した日本のビンテージイヤーと言われる年だ。
世界で最も安く手に入れられるミドシップスポーツの2代目ということで、人気自動車雑誌ではスクープ合戦も繰り広げられていた。ちなみに当時はクルマ雑誌が激増していて、ざっと数えただけでも100誌は超えていた。現在の状態しか知らない若い世代の人にとっては信じられないかもしれないが、コンビニエンスストアにはクルマ雑誌専用の陳列棚が用意され、『ベストカー』、『ホリデーオート』、『カートップ』というB5中綴じクルマ雑誌は平置きもされていたのだ。
初代とは対照的な流麗なデザイン
2代目MR2は初代よりも本格派を目指して開発が進められた。2代目MR2がデビューした翌1990年9月に初代ホンダNSXが登場したが、それまでは日本車で唯一のミドシップスポーツということには変わりはなかった。それだけに登場時の注目度は激高で、当時大学生だった筆者もスクープ記事の段階からワクワク。そのスクープされていたエクステリアデザインは、直線基調で武骨だった初代とは打って変わって流麗なフォルムとなっていたのも期待感を大きく煽った。実車を見たのはデビュー後かなり経過してからだったが、新車紹介として掲載されていた写真を見て、スクープされていたデザインそのままで登場してビックリしたものだ。MR2がこんなにかっこよくなるなんて……。