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SAPPOROの車名でも販売された

前述のとおり三菱自動車はクライスラーと資本提携していた絡みで、ギャランΛもクライスラーブランドにOEM供給され北米で販売されていた。クライスラーのダッジブランドでは、ダッジ・コルトチャレンジャーという車名で販売されていた。このモデルは2代目ギャランΛのOEMモデルはダッジチャージャーで、長い歴史を誇るダッジチャージャーで唯一OEMとなったのだ。

さらにクライスラー傘下のひとつのプリムスにもOEM供給されたのだが、その車名はSAPPORO(サッポロ)。車名の由来は北海道の札幌で、1972年開催の冬季札幌オリンピックにより札幌の知名度が高くなり、日本=札幌だったようだ。

プリムスサッポロは北米でも人気となった。フロントマスクは若干変更されている

実はこのSAPPOROという車名は、クライスラーだけでなく本家の三菱自動車もギャランΛの輸出モデルに使っていて、南アフリカ向けは三菱サッポロ、イギリス向けは三菱コルトサッポロと名乗っていたのだ。

国名や地名が車名やグレード名になっているクルマはいっぱいある。日本車でも日産サニーカリフォルニア(アメリカ)、日産パルサーミラノX1(イタリア)、スバルレガシィランカスター(イギリス)もそうだが、日本の地名が車名になっているのは珍しい。

三菱自動車のイメージを変えた

三菱自動車は三菱重工由来のため生真面目でカタい、さらにジープから質実剛健というイメージがあったが、ギャランGTOでスポーティさ、国内外のラリー活動によって信頼性の高さを確立し、ギャランΛによってラグジュアリー、オシャレというイメージを得ることに成功。その意味ではギャランΛは三菱自動車にとって大きな意味を持っている。

この頃三菱自動車は乗用車国内シェアにおいてトヨタ、日産に次ぐ第3位に躍進。その最大の要因は3代目ギャランΣの大ヒットにあるわけだが、ギャランΛも大きく貢献。前述のとおり、台数に現われないイメージ的な要素も大きかった。

そのギャランΛは1980年にフルモデルチェンジで2代目に切り替わったが、キープコンセプトのデザインが災いし、初代日産レパードが火を点け初代ソアラの登場で決定的となった日本の高級パーソナルクーペ時代で輝くことはできなかった。

キープコンセプトで登場した2代目Λはインパクトも乏しく初代のように人気モデルにはなれなかった

【初代三菱ギャランΛ GSR(4AT)主要諸元】
全長4650×全幅1675×全高1330mm
ホイールベース:2515mm
車両重量:1125kg
エンジン:1995cc、直4SOHC
最高出力:115ps/6000rpm
最大トルク:21.0kgm/3000rpm
価格:156万9000円

真横から見ても美しい初代ギャランΛ

【豆知識】
ランサーセレステはギャランクーペFTOの後継モデルとして1975年3月に登場。つまり今回紹介したギャランΛよりも1年早く試乗デビューしている。ギャランΛがギャランΣのクーペ版という位置づけ同様に、セレステは初代ランサーの3ドアファストバッククーペ版だ。セレステ(CELESTE)の車名はラテン語で青い空に由来している。買いやすい価格設定のスポーティクーペとして若者に人気となった。1982年まで生産され、一代限りで姿を消した三菱の陰の名車の一台だ。

FTOの後継ということからもわかるとおり、スポーティさとおしゃれ感覚を両立したセレステ

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/MITSUBISHI

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市原 信幸
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