温泉宿に長期滞在し、病気の治療や療養をする“湯治”。世界各地で古くから親しまれている療養法であり、日本も例に漏れず湯治が盛んな温泉地が数多くある。その中のひとつ、大分県別府市・鉄輪(かんなわ)温泉から車で5分ほど離れた閑静な小倉エリアに、現代風にアレンジした湯治を体験できる施設『七日一巡り(なのかひとめぐり)』が2025年3月にオープン。“湯治リトリートプログラム型滞在”と銘打ち、宿泊と温泉だけでなく様々なウェルネスプログラムに参加しながら、身体と心に向き合う時間を過ごすことができる。
湯治の記録は『日本書紀』にも! 庶民に広まったのは江戸時代
日本での温泉療法は、最古の歴史書のひとつ『日本書紀』にも残されているくらい古くからあるもの。天皇や皇族が温泉へ行幸した記録があり、その行幸は長期間にわたって行われたため、現地に滞在して湯治を行う目的だったとされている。
その後、湯治は公家や僧侶などの階層に徐々に広まっていき、戦国時代には大名たちが合戦で傷を負った兵士の療養に活かしたといわれている。武田信玄は領内に数々の温泉を整備したことで知られ、現在も「信玄の隠し湯」として川浦温泉などにその由緒を残す。そこから庶民にまで普及したのは江戸時代。温泉療法を研究し広めた一人に、江戸時代の儒学者、本草(ほんぞう)学者の貝原益軒(かいばら・えきけん)がいる。
貝原益軒が養生方法を著し、当時のベストセラーとなった『養生訓』では、「湯治は七日で一廻り。二廻り、三廻りすると良い」とあり、ひとの生体サイクルに基づく温泉の滞在が、体調を整えることを示していた。
『七日一巡り』からほど近い鉄輪温泉は、江戸時代には名物「蒸し湯」が有名となり病人が湯治の場として利用していたことが益軒の『豊国紀行』に記されている。「貸間」と呼ばれる自炊宿に泊まり、温泉の蒸気で食材を蒸して調理する「地獄釜」を使って自炊しながら長期滞在する文化は今でも残り、宿泊者や地域の人々とのコミュニケーションを楽しみながら療養することができる。
そんな益軒の提案する湯治方法から、『七日一巡り』では人の心身が癒えていくには、自然の流れに合致した時の流れを感じることも必要であると考え、移動を伴わない1日以上を設けて、ゆっくりと過ごす2泊以上からの湯治滞在を推奨している。日常の慌ただしさの中で、“タイパ”や“コスパ”を追い求める現代では、自分の身体や心をつい後回しにしてしまう。その日常から少し距離を置き、長期滞在する湯治に没入することで、身体と心に向き合う時間を持つことができるのだ。
温泉はもちろん、自炊や滞在者同士が交流を楽しめるスペースも充実
『七日一巡り』の客室は6つ。客室露天風呂付きの「松(Matsu)」と「竹(Take)」、和室の「梅(Ume)」と「杉(Sugi)」、ベッドスタイルの「欅(Keyaki)」と「楓(Kaede)」があり、自分が過ごしたいスタイルに合わせて選べる。
温泉は大浴場・小浴場の2か所、湯治文化の醍醐味である自炊が楽しめる広めのキッチン、滞在者同士で交流できるリビングやロビーラウンジ、長期滞在に必要なランドリーなど、共有で使えるスペースや設備も充実している。