父の屋台の味を引き継いで1992年開業
「魁龍 博多本店」の創業は1992年ですが、そのルーツは1952年までさかのぼります。戦後、久留米の町では「清陽軒」「幸陽軒」といった久留米ラーメンの繁盛店が台頭していました。それらの店で修業した職人は、やがて独立し、新たな久留米ラーメンの店を立ち上げていきます。「清陽軒」の創業者である飯田耕作さんの義弟にあたる香月昇さんは、「清陽軒」で腕を磨き、ラー博にも2009年から4年ほどレギュラー店を出店した、おなじみの「大砲ラーメン」を1954年に創業しました。
一方、1952年創業の「幸陽軒」の立ち上げに携わり、味を作り上げたのが「魁龍 博多本店」店主・森山日出一さんの父親にあたる森山定男さんです。
定男さんは1954年に久留米市六ツ門町に「珍宝軒」という屋台を開きます。その父の味を受け継いだ日出一さんが、1992年4月6日に北九州市の小倉で開業したのが「魁龍」です(※現在は博多本店のみ)。久留米ラーメンの源流となるとんこつ一本やりの味でした。
久留米ラーメン作りの経験なしからの出発
森山日出一さんは1959年、福岡県久留米市生まれ。気性が激しく、ケンカの腕も一流の父親の血を引いて、中学・高校時代を過ごした小倉では “札付きのワル”だったそうです。仲間を集めてバンド活動の日々を過ごしていた18歳の頃から水商売の道に入り、やがて大小18店舗のお店を展開するほどに極めます。また、音楽好きが高じてロックバンド「ツイスト」の付き人をするなど、幅広い人脈もお持ちです。
しかし、幼い頃から食べてきた父親のラーメンの味が忘れられず、築き上げたそれまでの全キャリアを捨て、みずから父親の味の復活を決意し、小倉に「魁龍」をオープンしたのでした。
とはいえ、日出一さんはラーメン作りの経験がありません。そこで父親のツテで修業先を紹介してもらい、久留米ラーメンの基礎を学びました。ただし、そこから先は独学です。どんどん濃厚な味になっていきました。
森山さんによると、「親父はこうあるべきと言ってくるのですが、自分としては目指す味があったため、毎日ケンカでした。でも、あとになって大きなヒントとなり、今のラーメンが生まれました。父親には感謝しかありません」―とのことです。
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