評論家は軒並み高評価
R32スカイラインシリーズはデビュー後に開催された試乗会などで評論家は軒並み高評価。手放しで日本車をほめることのないと言われていた徳大寺氏も絶賛していたほど。「欧州、特にドイツの評論家に乗せたい」、つまりは日本車がここまで凄くなったのをアピールしたいとまで言わしめていたほどの出来だったのだ。
当時徳大寺氏とともに自動車雑誌『ベストカー』の2枚看板だったガンさんこと黒沢元治氏はR32GT-Rを試乗し、ブレーキ性能の改良を望みながらも、ハンドリング、動力性能について評価していた。そして、「これからはポルシェが目標ではなく、ポルシェが目標としてくるクルマに育ってもらいたい」とコメント。これって最大限の賛辞だ。
過去イチのインパクト
筆者個人の話で言えば、田舎から出てきてひとり暮らしをする大学生の身分でGT-Rなど乗ることなどどう転んでも不可能。しかし、1990年に『ベストカー』のアルバイトを始めたことにより状況は一変。何度も広報車を運転させてもらった。たぶん、ベストカーでアルバイトをしていなかったら、たぶん個人では勝ってないだろうから、R32GT-Rを一度も運転しなかっただろう。
当時に筆者は何に乗っても感激していたが、R32GT-Rは走る、曲がる、止まるの三要素のうち特に曲がるという点でクルマの概念を覆してくれた一台だった。これまでいろいろなクルマに乗って楽しかったり、凄いと感じることは多々あるが、インパクトで言えばR32GT-Rは過去イチだろう。
4年間で29戦負けなし!!
レースに勝つために生まれたR32GT-Rは1989年10月に市販モデルの販売を開始後あっという間に2000台を生産。晴れてホモロゲをクリアして1990年の開幕戦でデビューを飾った。星野一義/鈴木利男組のカルソニックスカイラインがデビュー戦でポール・トゥ・ウィン。しかも全車をラップする圧倒的な速さを見せつけた。
R32GT-Rはシリーズが消滅する1993年までの4年間29レースで一度も負けることなく29連勝をマーク。猛威を奮っていたシエラRS500も駆逐してJTCはGT-Rの独壇場。GT-Rだけが強いとレースファンの興味も薄れそうなものだが、最初はGT-Rが勝つか負けるかが焦点だったものが次第にどのGT-Rが勝つのかに変わり、GT-Rは勝ち続けられるのか、などの注目が集まっり飽きさせなかった結果、シリーズ終了まで観客動員数は増え続けた。これほどまでに日本人を熱くさせたレーシングマシンは後にも先にもない。
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