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第2、第3世代のGT-Rの礎

第2世代GT-Rと呼ばれるものにR32、R33、R34、第3世代が生産終了したばかりのR35GT-Rとなるのだが、第2世代以降のGT-Rの礎を築いたのはR32GT-Rだ。R32GT-Rは1994年まで生産され約1万7000台を販売。一部イギリス、オーストラリアに輸出されたが基本的には日本国内での販売というのを考えると、車格からすれば異例の大ヒット。デビュー時の445万円という価格はある意味バーゲンプライスで、若者でもがんばれば手に入る絶妙な価格設定だったこともあり、無理してでも男の5年60回ローンでR32GT-Rを買ったという人は筆者の周りでも少なくない。

ただ現在の問題はアメリカの25年ルール、希少価値などにより中古車が異常なまでに高騰していること。500万円を切る個体はほとんどないし、2000万円クラスも珍しくなく、上を見れば青天井。タマ数も少なくなっていて入手するのは超困難な状態だ。新規で中古車を購入するのは庶民には現実的ではない。現在持っている人が大事に乗ってくれることを願うばかりだ。

R32GT-Rの後にR33(中)、R34(右)へと進化していった。ただどのモデルも中古車が爆上がり

【日産スカイラインGT-R(BNR32)主要諸元】
全長:4545mm
全幅:1755mm
全高:1340mm
ホイールベース:2615mm
車両重量:1430kg
エンジン:2568cc、直6DOHC
最高出力:280ps/6800rpm
最大トルク:36.0kgm/4400rpm
価格:445万円

グループAレースの人気が高くレプリカカーが街中にいっぱいいた

【豆知識】
インターTECは1985年から1998年に富士スピードウェイで開催されていたツーリングカーレースで1993年までがグループA車両によるレースで、1994~1998年は2Lの4ドアマシンによるレースだ。1985、1986年は『空飛ぶレンガ』と呼ばれ欧州ツーリングカー選手権で猛威を奮っていたボルボ240、1987~1989年はフォードシエラRS500がそれぞれ優勝し外国勢が圧倒していたが、R32GT-R登場後は勢力図が一変し、GT-Rが1990~1993年まで4連勝!! 2Lの4ドアマシンのレースになって人気が落ちて1998年をもって終焉なとなった。

GT-Rは1990~1993年までインターTECで4連勝

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/NISSAN、ベストカー

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市原 信幸
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