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短命に終わった食堂御料車

御料車第9号と呼ばれた天皇用の食堂御料車が活躍したのは、わずか2年間だけだった。その間に大正天皇は、15回ほど食堂車での昼食を楽しまれた。1917(大正6年)以降は、ぱったり使用されることはなくなり、1935(昭和10)年に廃車されるまで、貞明皇后(のちの皇太后、大正天皇の后)をはじめ、昭和天皇、香淳皇后は一度も利用されることはなかった。

使用されなくなった理由には諸説あるが、列車の移動中の食事は「サンドイッチ」などの軽食や、料理旅館等の特製弁当、ご当地の駅弁が好まれるようになり、その結果、大掛かりな厨房設備の必要がなくなったためだと考えられている。戦前期の御料車には、簡単な調理ができる大膳室(簡易厨房)が備わっていたこともあり、次第に活躍の場を失っていった。

満洲国皇帝溥儀も利用した「国賓用食堂車(御料車第11号)」も、戦後の一時期、GHQの専用列車に連結して使用されたこともあったが、のちに廃車・解体されており、現存しない。

大正御大礼時の食堂御料車第9号の室内レイアウト図。中央に調理室(厨房)、供進所(ぐしんしょ/配膳室)、その右に「御食堂」が見て取れる=資料/宮内公文書館蔵

現代のご昼食スタイル

戦後になり、皇室の方々の長距離移動には「民間の飛行機」が取り入れられたことで、昼食は目的地に到着してから、といった考え方へと変化し、”車中ご昼食”の機会も少なくなっていった。その代わりというわけではないが、昭和天皇は飛行機の機内で、お三時のときは「旬のフルーツ」を召し上がることもあった。

現在のように新幹線網が全国に発達する以前は、昭和天皇は特に「お召列車の旅」を望まれ、よほどの遠方ではない限り、飛行機を利用されなかった。車中でご昼食の時間ともなれば、あらかじめ沿線の駅弁業者へ注文されることも珍しくなく、今でも語り継がれるエピソードは多い。例えば、群馬県を走る信越本線の横川駅の「峠の釜めし」や、栃木県を走る東北本線の黒磯駅で売られていた駅弁を召し上がったことなど、話は尽きない。

平成の時代になると、訪問先の知事らと昼食(ご会食)をなさることが定例化し、車中や機内での昼食といった話を聞くことは少なくなった。しかし、平成の後期になると、天皇陛下(現・上皇陛下)のご年齢などを考慮した負担軽減策として、ご会食は見送られるようになり、その代わり、現地へ向かう新幹線や航空機内で、駅弁や機内食を召し上がる機会が増えていった。上皇さまが、東京駅の有名駅弁がお気に入りという話は、あまりにも有名だ。

令和の今も、天皇、皇后両陛下による訪問先での「ご会食」は継承されており、列車内や機内での昼食の機会は殆どみられない。それでも、令和元年の茨城県ご訪問の際には、お召列車の車中で昼食を召し上がっている。天皇家の長女、愛子さまも2024(令和6)年3月の三重・奈良県ご訪問の際には、両県を移動される際の近鉄特急の中で、三重県の松阪駅で販売されている駅弁「モー太郎弁当」を召し上がった。

この記事が配信される2025(令和7)年11月8日も、天皇、皇后両陛下は近鉄お召列車(近鉄名古屋駅→近鉄鳥羽駅間)の車中で、昼食を召し上がる。それが近鉄名古屋駅で売られる近鉄沿線の名産品をふんだんに取り入れた駅弁「特製幕の内・しまかぜ弁当」(税込み1500円)なのか、どこぞの特製弁当なのかは明らかにされていない。気になるところだ。

近鉄名古屋駅と近鉄特急「しまかぜ」の車内でしか購入することができない松浦商店の「しまかぜ弁当」パッケージ。(写真に見る価格は撮影時のもの)=2019年11月21日、近鉄特急「しまかぜ」の車内で
松浦商店が販売している近鉄特急「しまかぜ」をモチーフにした駅弁。献立は撮影時のもので、定期的にリニューアルされる=2019年11月21日、近鉄特急「しまかぜ」の車内で
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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