東京モーターショーに出展の2年後に市販化
その対抗馬として登場したのが、今回紹介するスズキカプチーノで、実質的にバルブが崩壊した1991年11月にデビューを果たした。スズキはデビューの2年前に開催された東京モーターショー1989でカプチーノのプロトタイプを世界初公開。
スズキはほかのメーカーよりも東京モーターショーを重視していて、そこでプロトタイプを公開して、その反響をもとに市販化するかどうかを決めるという手法を好んでいた。スズキもカプチーノを東京モーターショーに出展し、「反響次第で市販化を決める」と明言していた。その反響はスズキの想像を超えたレベルだったこともあり、スズキは市販化を決定したのだ。
筆者は自動車雑誌の『ベストカー』の編集に長く携わっている。『ベストカー』の売りはスクープなのだが、そのスクープ班泣かせなのがスズキで、事前情報がほとんど漏れてこないため新車計画について知るのが非常に難しい。
スズキは東京モーターショー1985でR/P2、同1987年にRS-3というスポーツカーを出展。RS-3は軽自動車ではなく1.3Lクラスの2シータースポーツだった。当時のスズキがスポーツカーを計画していたのは明らかだったが事前情報はなし。そんななか、カプチーノがいきなり公開されたわけだからその衝撃は物凄かった。バブル期のモーターショーだけあって、コンセプトカーなどいっぱい出展されていたなかクルマ好きの心をつかんだ。
古典的なスポーツカールック
カプチーノのボディサイズは前述のとおり軽規格変更要素を取り入れ、全長3295×全幅1395×全高1185mmでホイールベースは現代のクルマとしてはかなり短い2060mm。このショートホイールベースも軽スポーツとしてのキビキビした走りに好影響。
デザインはロングノーズ&ショートデッキというスポーツカーの王道。全体的に丸みを帯びたエクステリアデザインは、小さいながらもボリューム感があるのも特徴で、スポーツカーとしては古典的なルックではあるが、かなり魅力的に仕上げられていた。個人的にはフロントフェンダー後方に設けられた2つの穴が1960年代のスポーツカー風で好き。
1992年にマツダAZ-1が登場し、軽三銃士はそれぞれの頭文字を合わせてABCトリオと呼ばれて販売台数以上の存在感を持っていた。それにしても同じ時代に3台が揃ったのは奇跡的。これもバルブのイケイケ感の象徴だったような気がする。
4ウェイ・オープンを採用
カプチーノはビートがソフトトップのオープン、AZ-1がクーペなのに対し、ルーフ部分をアレンジすることでクーペ、タルガトップ、Tバールーフ、フルオープンの4タイプが自在に選べるのが特徴で、スズキでは4ウェイ・オープントップと命名していた。
MR2、フェアレディZなどのTバールーフに乗っていた方など実感していると思うが、デタッチャブル式のトップは最初こそ物珍しくて頻繁に脱着するが、面倒になってクローズのまま乗るというケースが多い。しかし、カプチーノの場合ルーフパネル自体が小さくて軽いため非常に手軽に脱着できるという利点があった。
フルオープンにした時は、風を感じられるまさにバイク感覚の気持ちよさがあった。





