年末を節目として、仕事に区切りをつけたり、新しいスタートに向けて舵を切ったりする人も多いだろう。天皇陛下と雅子さまの食事を支えてきた大膳の担当者にとっても、年の瀬はちょうどそんな時期であった。今回は、陛下がまだ皇太子殿下であったころ、東宮職付き大膳が退官するときに、雅子さまがリクエストされた「最後の料理」の物語である。
昭和から平成の御代にかけて天皇家の食を支える
12月のその日、大膳課の東宮御所の主厨(しゅちゅう)は、年明けの1月に退官することを決心した。26年間に渡る長い年月の間、一心に皇室の食を作り続けてきた人生であった。
フランス料理のコックをしていたその人は、昭和45年に総理府技官を拝命し、昭和天皇の厨房の仕事に携わることとなった。今の天皇陛下が10歳の頃のことである。
やがて昭和天皇に18年仕えたのちに、今の上皇陛下の担当となり、ご一家の食を支え続けた。
昭和の頃、皇太子浩宮さまは、赤坂の東宮御所にご両親である今の上皇陛下と美智子さま、妹君の紀宮さまとそろってお住まいであった。平成の御代となり、吹上御所に陛下と美智子さまが移られ、浩宮さまは東宮仮御所で独立されることとなった。そのときからその人は、東宮付きとして西洋料理の食を担当することとなったのである。
雅子さまが「辞める前にぜひあの料理を」と希望される
やがて、天皇家三代に渡って30年近くその食卓を整え、晩餐会や園遊会などの行事をこなしてきた主厨が職を離れる時がやってきた。
ちょうどそのころ、主厨はある女性誌に「シャンパンと相性のよいコース料理」を紹介していた。雅子さまがその記事に目を留められた。
そして雅子さまは、「辞める前に、ぜひあそこで紹介されていたお料理を作ってくれませんか」と、主厨におっしゃったのである。
主厨は、「はい、喜んで作らせていただきます」と答え、浩宮さまと雅子さまにお出しする最後の料理を、心を込めて調理した。





