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初代ロードスターはマツダの冷や飯プロジェクト!?

■ロードスターの企画はいつ頃に立ち上がったのですか?

前田:1983年頃だったと思う。アメリカのロサンゼルスロスR&Dに居た俣野さん、アメリカの『モータートレンド』誌のボブ・ホール氏らが山本健一さん(1984~87年に社長)を口説いたと聞いています。当時の開発TOPの山之内専務が逆指名するかたちで平井(敏彦)さんに主査を任命。デザインも田中さん、林さん、設計推進リーダー池水さん、PT推進リーダー磯村さん(ファミリアエンジン FF→FR)、実験推進役&窓口として、小生が呼ばれた。小生は当時、2代目RX-7(FC3S)と同時進行でリーダーの立花さん指示の下で走り回っていた。

開発陣は少数精鋭で、同時進行していたFC3Sとかなり共通していた

■ロードスターを作ろうという動きは、マツダ社内からの提案ですか、それとも販社から要望ですか

前田:前述のとおり社内からの提案ですが、社内からは「1960年代のオープン2シーター? そんなもんモノになるか?」、「売れるもんか!!」と冷やかされ、国内販売からの要求は「350台」と低く、冷や飯プログラムとしてデザインセンター(DC)の倉庫でのスタートだった! そこは社内の部外者の出入りも少なく、ごく少数のメンバーで図面を引いては皆で検討していた姿を思い出す。DC倉庫の5Fは天井なしの吹付けで、窓も高いところにあって、外も見えなかった!(泣) 唯一助かったのはカーエレベーターがあったので荷物、比較車の出し入れが容易だった!

絶対的なスピードではなく人馬一体で走る楽しさ、悦びを提供

ロータリー搭載の構想はいっさいなし!!

■RX-7とロードスターで開発者、エンジニアの重複はなかったのでしょうか?

前田:倉庫に集められたメンバー、設計者は池水リーダーが集めた数名の幌担当含む内外設計+シャーシ設計2名(貴島さんの部下の安藤さん、小山さん)に海外から外人3名、排気系1名くらいだった。これに実験の窓口として小生が加わっただけの小集団でした! 図面での検討会には担当実験を呼んだり、図面を持って担当実験へ走り回った。実験メンバーはRX-7(FC3S)と同一なのが大半ということもあり気心得た仲間で推進できた! 徹夜でモノ造りを一緒にやってくれたことも多々あった(仲間の奥さんには事前に今夜は帰さないよ!と了解取り付けていた)。夜中に妻におむすびを作ってもらい、近くの門まで届けてもらったことも! 仲間からは今でも、「あの時のおむすびが美味しかった」と語種になっている。でも、今だったらパワハラでクビでしょうね(笑)。

■ロードスターは最初から直4エンジンで構想されていたのでしょうか。ロータリーエンジン搭載の可能性はなかったのでしょうか

前田:ロータリー搭載の話はなかった! 磯村さんが加わりファミリアのエンジンをFF横置きからFR縦置きの直4でした! ロータリー=RX-7で、開発を含めてロータリー嫌いな人は社内にも多くいた。

エンジンはファミリア用1.6L、直4DOHCを縦置きに変更することの一択でロータリー搭載の検討もなし

■参考にして研究した他社のクルマはあったのでしょうか?

前田:ロータスエラン、MG-Bはシャブリ尽くした! フィアットX1/9、スーパーセブンといった1960~1970年代のライトウェイトスポーツカー(LWS)群です。しかし、FCの時に立花さんとECテスト(燃費テストと称して)で供試したポルシェ944T/Cで足まわり、アンダーボディ強化(特にトンネルまわり強化)を学び、200㎞/hオーバーでの安心、安定、安全性をアウトバーンで確認!(944は手に汗握ることはなく気持ちよく走ることができた)事の提案がNAのPPF(パワー・プラント・フレーム)、サブフレームマウント採用に至ったと内心では今でも思っている。

比較車両としてライトウェイトオープンの代名詞的存在のMG-Bも乗り尽した
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ミスターロードスターの平井氏の存在意義
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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