「人車一体」で走って造り込んだ!予期せぬ大ヒット!!
■初代ロードスターに関する逸話、裏話などいくつか教えてください
前田:全米への初の衛星中継発表会に立ち合えたこと! また、発表会後の試乗会はハワイオアフ島でやれたこと、それをすませて平井さんと本社に帰った時に歓迎されて、エンジニアの記念撮影で100人近くの集まりに平井さんが、「ロードスターを作った仲間がこんなにいたか?」と苦笑い。その時の若い広報マン2~3名(業界でも知られてる丸田靖生さん含む)が導入を自分たちにやらせてほしい! と来て、全米導入記者発表会の司会進行役を丸田さんがしっかりやってくれたこと。その時に平井さんから「人馬一体」を語っていいかな? という問いに対して実験研究では、「人車一体」で走って造り込んだ! アメリカ人に対して馬を語るなら用意されたゴルフをやめて乗馬で行こうと広報にお願いしたことも思い出す。
■これほどまで世界的にヒットすると思っていましたか?
前田:倉庫(リバーサイドホテル)での平井さんの第一声は「俺はクビ覚悟でやる! ついて来てくれるか?」、「妻からも責任とらされたら会社を辞めていいよ! と言われている」。そこに集まった数名のメンバーからは、「みんなで造って売りに行こうや!」の掛け声でのスタートでしたので、大ヒットするとはまったく予知してないで、モノ作りに専念しただけです!
前田氏の経験談からわかったのは、マツダのスポーツカーではRX-7という王道があり、マツダ社内の一部ではロードスターは異端扱いされていたということ。ヘタするとプロジェクトが自然消滅していたかもしれないほど粗末な扱いを受けていたというのに衝撃を受けた。
マツダの専売特許のロータリーはそのコンパクトさで前後重量配分にこだわるロードスター向きと勝手に思い込んでいたが、ロータリー搭載は一切検討されていなかったというのは意外。裏を返せば、ロータリーは聖域で、当時はRX-7のためのもので成功するかどうかもわからない新規のFRオープンスポーツには搭載でできなかったということかもしれない。
3度のチャンスを逃した代償は大きい
筆者は初代ロードスターについては後悔しかない、と書いたが、それは何度も購入するチャンスがありながらも購入しなかったこと。職業柄初代ロードスターはマツダの広報車両をはじめ何度も運転しているが、愛車とすることはなかった。
デビュー時の170万円という車両価格は、当時のスポーツカーとしては群を抜いて安かった。正直なところ、大学生がバイトをして買うことができる金額だった。ロードスターのデビュー直後に筆者も購入を考え、買う気満々だったが、当時住んでいた場所の駐車場の相場が3万~3万5000円というのに心折れて断念。これが1回目。
2回目は社会人になって1年目の1991年。サンバーストイエローが鮮やかな800台限定車のJリミテッドの登場時。コイツも本気で購入を考え、商談に行ったときにはすでに完売していてキャンセル待ちにすら入れてもらえず。
そして3回目は2010年頃。走行距離が10万㎞を大きく超えるモデルは10万円台のタマがゴロゴロあった。高くても30万円程度で手に入れることができたのだが、このチャンスを見事なまでに逃してしまい、手に入れることはなかった。
日本の名車を手に入れるチャンスがありながら、手に入れずに今までいることは後悔以外何物でもない。もし手に入れていれば、今よりももっと運転が上手くなっていただろうし、今でも乗っているかもしれない。まぁ、いいことばかりではなかったかもしれないが、カーライフがまったく違うものになっていたはずだ。
今後も初代ロードスターを手に入れるチャンスはいくらでもあるだろう。しかし、これまで3度逃してきた代償は大きく、手に入れるには数百万かかるかも。
初代ロードスターについての筆者の後悔録を記したが、最後におとなの週末Webの堀編集長の初代ロードスターとの思い出を語ってもらおう。





