ミスターロードスターの平井氏の存在意義
■初代ロードスターは平井敏彦さん(初代ロードスター開発主査)がいたから誕生したのですか?
前田:はい! 頑固親父の平井さんがいたからです。当時は5チャンネルでAZ-1 も平井さんに付いて育成推進したが、上のほうでは平井さんにオフライン開発をやらせて、失敗させて会社を去らせるという不穏な動きもあったようです!
■企画段階からクルマ(初代ロードスター)はどのように変化(進化)したのですか
前田:金ない、人がいないなかでのLWSの概念は変わってません! フロントミドシップ、FR(後輪駆動)、2シーター、オープン! マスターカーにモノの変更点を植え付けて評価し、図面反映させる仕事でした! 金は出せないが使えるモノは採用するとの言葉(平井さんを横で支えた推進役の久保さん:後に広報部での上司!)で、タイタンの灰皿を採用したのかな!(笑)
ロードスターの開発を通じた特殊な人脈
■実験部の苦悩はありましたか
前田:FC開発での実験メンバーがほとんどで一緒に走り回った仲間ですので、逆に保は何時頃来るの? と急かされることが多くあった。ただ実験の職場での仲間の評価が低く上司と押し問答することはあった。その後のAZ-1、FD(3代目RX-7)開発時も少し仲間変わっても実験場へ入り浸り、仲間達の助けとともに一緒に走り込んだことがその後の社内の異動先の広報部でも活かされた。ここで忘れてならない人が、商用車Grリーダー吉山さん。実研管理Gr(グループ)から実研企画Gr部屋への移動のキッカケとなった方だ。そこにいた商用車Grリーダーの吉山さんからタイタン担当実験者30人に予算300万で大型免許取らせてやってくれないか? という打診を受けた。マイクロ限定では海外テストができないという理由からだ。その相談に応じてある自動車学校へ「1週間で30人に大型免許取与えてほしい。頭はよくないが運転は上手い(←失礼!!)」という条件で。そうすると270万円で取得可能という回答が得られ、それを吉山さんに伝えたら、お前も取っとけ! ということになった。実企でタイタン推進をやってもらう! 本部長には話は付いている。そのことを嗅ぎつけた立花さんが、「保が来るなら俺にくれ!」 ただ当時FFリーダーの片倉さんの下から分かれてFRスポーツカーGr立花さんの下では推進役は育ってないため、お前も潰されるから止めとけ! と周りから反対された。が、小生が立花さんに付く条件として、お願いしたのは無能な自分との間にクルマ造りプロを2人付けてくれ! というもので、商品性実験の森山主任、信頼性実験の栗栖主任を迎い入れて実企でのFC推進役スタートとなったのだ。



