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急がれる設備投資と混雑の緩和

「国鉄は国民のみなさんから、お預かりしている鉄道ですから、国鉄はその運営をいかに合理化するかに腐心(原文ママ)しています。値上がりする石炭費も、節約によって捻出するよう、懸命の努力を傾けているのです。」 以上は、当時の国鉄が理解を求めた説明書きである。

戦前期の1936(昭和11)年と戦後期の1951(昭和26)年との鉄道経費の比較では、人件費が前者45%に対し後者38%、同様に物件費(設備費)が36%に対し50%と逆転している。それだけ、設備投資に注力していたということへの現れなのだろうか。当時の資料によると、山手線が一番混雑したのは1946(昭和21)年で、次いで中央線が昭和22年、京浜東北線は昭和24年を示している。戦禍により荒れ果てた都市部から、人々が郊外へと移り住んだことが伺える。

乗客数も電車列車を例に見ると、車両総数(輸送量170万人)の倍を上回る乗客数(350万人)へと伸び続け、1951(昭和26)年にみる総乗客数(客車・電車の乗客)では、東海道線が1600万人、次いで山手線の1300万人、中央線は1200万人という状況だった。この混雑を緩和するために、輸送力の増強を第一に考えた国鉄は、車両の増強、ホームと折返し線の延長、ホームでの相互発着、複々線の延長を推し進めた。

1953(昭和28)年当時の東京駅午前8時55分の列車と電車の動きを示した図。当時は、新幹線や地下ホームはなく、地上にある5つのホームしかなかった=資料所蔵筆者(当時のパンフレット「混雑から快適へ」日本国有鉄道より)
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